・・・と夜具を奪りにかかる女房は、身幹の少し高過ぎると、眼の廻りの薄黒く顔の色一体に冴えぬとは難なれど、面長にて眼鼻立あしからず、粧り立てなば粋に見ゆべき三十前のまんざらでなき女なり。 今まで機嫌よかりし亭主は忽然として腹立声に、「よ・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・ お新はこんな話をするにも面長な顔を婆やの方へ近く寄せて言った。 そこへ小さな甥の三吉が飛んでやって来た。前の日にこの医院へ来たばかりで種々な眼についたものを一々おげんのところへ知らせに来るのも、この子供だ。蜂谷の庭に続いた桑畠を一・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・やや面長の、浅黒い顔です。服装も変っていません。みんなと同じ黒い事務服です。髪の形も変っていません。どこも、何も、変っていません。それでいて、その人は、たとえば黒いあげは蝶の中に緑の蝶がまじっているみたいに、あざやかに他の人と違って美しいの・・・ 太宰治 「東京だより」
・・・顔立は面長の色白く、髪の生際襟足ともに鮮に、鼻筋は見事に通って、切れ長の眼尻には一寸剣があるが、案外口元にしまりが無いのは糸切歯の抜けているせいでもあろう。古風な美人立の顔としてはまず申分のない方であるが、当世はやりの表情には乏しいので、或・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・枝の悉くは丸い黄な葉を以て隙間なきまでに綴られているから、枝の重なる筆の穂は色の変る、面長な葡萄の珠で、穂の重なる林の態は葡萄の房の累々と連なる趣きがある。下より仰げば少しずつは空も青く見らるる。只眼を放つ遙か向の果に、樹の幹が互に近づきつ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 其の人の名はM子と云う。 年は私とそう違わない。 大柄な背の高い髪の毛の大変良い人だけれ共色の黒いのが欠点だと皆知ってるものが云って居る。 面長な極く古典的な面立がすっかりその性質を表わして居る。 ほんとうのフトした事・・・ 宮本百合子 「M子」
・・・ 彼は、印度人で、幼少の時から英国で教育され、今はボストン博物館で、東洋美術部の部長か何かをしながら、印度芸術の唯一の紹介者として世界的な人物になっているのである。 面長な、やや寥しい表情を湛えた彼が、二階の隅の、屋根の草ほか見えな・・・ 宮本百合子 「思い出すこと」
・・・ この寒さの最中、満期になって帰って来た高橋の家の息子は帰るとすぐ家へ来た。面長の、眼の大きい、すんなりした顔立の男だけれ共、少し気の遠い処が有りそうな口元をして居る。色なんかちっとも白い事はない。額の生際の方が少し顔の下の方よりは白っ・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・その上、まるで面長な色白い人間の婆さんのような表情を、この犬は持っているのだ。樫の木は、冬でも小暗い蔭を門になげている。家はがらんと人気ない。そこに、鎖につながれ、この斑の婆さん風な犬が私を見ている。――おまけに、その犬は、世間普通な犬の吠・・・ 宮本百合子 「吠える」
・・・ 面長で顔の色など、青年にしては白すぎた。いかにも母親の注意が細かに行き届いた好い服装をし、口数の尠い男だが、普請は面白いと見え、土曜日の午後からふらりと来て夕方までいて行くことなどあった。母親もそうだが、この大学生にもどこか内気に人懐・・・ 宮本百合子 「牡丹」
出典:青空文庫