・・・が、人生及び社会を対象とする今日以後の文人は、昔の詩人のように山林に韜晦する事は出来ない。都会に生活して群集と伍し、直接時代に触れなければならぬ。然るに文人に強うるに依然清貧なる隠者生活を以てし文人をして死したる思想の木乃伊たらしめんとする・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・是等のことは、人間生活を思念することから、即ち、社会のために民衆のために、我等理想のためにということから、はなれて自己満足のために、愛欲の生活のために若くは、自己韜晦のために、筆を採るというように、作家の意気を失墜するものがあると考えられる・・・ 小川未明 「正に芸術の試煉期」
・・・の数行の文章をかれ自身の履歴書の下書として書きはじめ、一、二行を書いているうちに、はや、かれの生涯の悪癖、含羞の火煙が、浅間山のそれのように突如、天をも焦がさむ勢にて噴出し、ために、「なあんてね」の韜晦の一語がひょいと顔を出さなければならぬ・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・強く、世間のつきあいは、つきあい、自分は自分と、はっきり区別して置いて、ちゃんちゃん気持よく物事に対応して処理して行くほうがいいのか、または、人に悪く言われても、いつでも自分を失わず、韜晦しないで行くほうがいいのか、どっちがいいのか、わから・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・アメリカその他の映画が、たとえば恋愛を扱うにしろ、社会の非合理から生じた悲劇を悲劇のまま描いたものか、さもなければナンセンス、ユーモアに韜晦しているもの足りなさを、今日のソヴェト映画は、どのような内容と技術の新生面を開いているだろうか。小説・・・ 宮本百合子 「映画の恋愛」
・・・なかでも文学者は、現代の世紀の良心の前にすでに正直な自身というものを露出させて来たのだから、たとえ六月二十五日以後、どこにどのような事態がひきおこされようと、もう、かつての時のように、先ず自身の精神を韜晦して屈従の理論をくみたてるという芸当・・・ 宮本百合子 「私の信条」
出典:青空文庫