・・・理屈なし説明なしに端的にすべての人の心を奪う種類のフィルムであり、活動映画というものの独自な領域を鮮明に主張したものである。絵ではもちろんのこと、いかなる言葉でもまた音楽でも、かくのごとき映画を説明することは不可能であろう。それにしてもこの・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・のでは、刺激があまりに強すぎて、もはや享楽の領域を飛び出してしまう恐れがあるのではないかと思われる。 十三 血煙天明陣 この映画は途中から見た。ずいぶん退屈な映画であった。人間が人間を追っ駆け回す場面、人と人とが切り・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・幸いなことには、映画という新しいメジウムの世界には前人未到の領域がまだいくらでも取り残されている見込みがある。そうした処女地を探険するのが今の映画製作者のねらいどころであり、いわば懸賞の対象でなければならない。それでたとえばアメリカ映画にお・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・これは決して音楽を冒涜するものではなくて、音楽の領域に新しきディメンジョンを付加することの可能性を暗示するものではないかと思われる。これが、別に頼まれもせぬ自分がこの変わった映画の提燈をもって下手な踊りを踊るゆえんである。・・・ 寺田寅彦 「踊る線条」
・・・思うにそのころの自分にとっては文学はただ受働的な享楽の対象に過ぎなかったが、科学の領域は自分の将来の主働的な生活に生きて行くためにいちばん適当な世界のように思われたのであった。 大学を卒業して大学院に入り、そうして自分の研究題目について・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ 科学の進歩に伴う研究領域の専門的分化は次第に甚だしくなる一方である。それは止むを得ないことであり、またそういう分化の効能が顕著なものであるということについては今更にいうまでもないのであるが、この傾向に伴う一つの重大な弊は、学者が自分の・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・もしも、そういう学問の分派が可能だとすれば、それはどういう方面にその領域を求めるべきであろうか。この問題より前にまず五官による認識の本質的特徴に注目する必要がある。 思うに五官の認識の方法は一面分析的であると同時にまた総合的である。たと・・・ 寺田寅彦 「感覚と科学」
・・・課担任の教師はその学問の専門家であるがため、専門以外の部門に無識にして無頓着なるがため、自己研究の題目と他人教授の課業との権衡を見るの明なきがため、往々わが範囲以外に飛び超えて、わが学問の有効を、他の領域内に侵入してまでも主張しようとする事・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・ 現代のソヴェト同盟でも、諷刺は新しい立場から研究され、絵画の領域では漫画といっしょに、大いに階級的活動に利用されている。 二 諷刺は、極めて現実的である。 対象と主体との相異対立がはっきり認識され・・・ 宮本百合子 「新たなプロレタリア文学」
・・・文学の領域において、作家の敏感性や個人主義の傾向は、この点で十二分に利用された。一九四一年の一月から、また、幾人かの作家・評論家が執筆禁止になった。三年前は、主として内務省がその仕事をやったものであったが、四一年には、情報局がこの抑圧の中心・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
出典:青空文庫