・・・彼はすぐに三左衛門の意を帯して、改めて指南番瀬沼兵衛と三本勝負をしたいと云う願書を出した。 日ならず二人は綱利の前で、晴れの仕合をする事になった。始は甚太夫が兵衛の小手を打った。二度目は兵衛が甚太夫の面を打った。が、三度目にはまた甚太夫・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・だその閣令を出す必要は、その法令を規定したすべての条件を具えたものには、早速払い下げを許可するが、そうでないものをば一斉に書面を却下することとし、また相当の条件を具えた書面が幾通もあるときは、第一着の願書を採用するという都合らしく、よっては・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・当代に追腹を願っても許されぬので、六月十九日に小脇差を腹に突き立ててから願書を出して、とうとう許された。加藤安太夫が介錯した。本庄は丹後国の者で、流浪していたのを三斎公の部屋附き本庄久右衛門が召使っていた。仲津で狼藉者を取り押さえて、五人扶・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・姉のりよは始終黙って人の話を聞いていたが、願書に自分の名を書き入れて貰うことだけは、きっと居直って要求した。りよは十人並の容貌で、筋肉の引き締まった小女である。未亡人は頭痛持でこんな席へは稀にしか出て来ぬが、出て来ると、若し返討などに逢いは・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・どうするかというと、願書というものを書いてお奉行様に出すのである。しかしただ殺さないでおいてくださいと言ったって、それではきかれない。おとっさんを助けて、その代わりにわたくしども子供を殺してくださいと言って頼むのである。それをお奉行様がきい・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫