・・・私自身にとっても、憧憬、煩悶、反抗、懐疑、信仰、いろ/\と、心の推移と、其の時代々々の思想と生活の異った有様とを顧みて、それ等をあり/\と目の前に描くことができます。 何といっても、私が最も、年齢について、悲哀を感じたのは、その三十の年・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
・・・風は行く先を急ぎながらも顧みて、「しかし海豹さん。秋頃、漁船がこのあたりまで見えましたから、その時人間に捕られたなら、もはや帰りっこはありませんよ。もし、こんど私がよく探して来て見つからなかったら、あきらめなさい。」と、風は言い残して馳・・・ 小川未明 「月と海豹」
・・・とお光を顧みて、「お前、お仙ちゃんの話をしたかい?」「いえ、まだ詳しいことは……」「じゃ、詳しく話したらどうだい?」「はあ、じゃとにかくあの写真を……」とお光は下へ取りに行く。 後に新造は、「お光がね、金さんにぜひどうかいい・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ところが、顧みて日本の文壇を考えると、今なお無気力なオルソドックスが最高権威を持っていて、老大家は旧式の定跡から一歩も出ず、新人もまたこそこそとこの定跡に追従しているのである。 定跡へのアンチテエゼは現在の日本の文壇では殆んど皆無にひと・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ただ静かに貴嬢を顧みたまいて貴嬢の顔色の変われるに心づき、いかにしたまいし心地悪しくやおわすると甘ゆるように問いたまいたる、その時もしわが顔にあざけりの色の浮かびたりせば恕したまえ、二郎が耳にはこの声いかに響きつらん、ただかれがその掌を静か・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・青年学生がそれに耐え得るほど強く、人生の猛者であり、損害と不幸とを顧みずして運命を愛する真の生活者でありたいならば、私はこの保身と幸福にはまるで不便な、「恋愛運命論」によって、その恋愛を指導することを勧めたい。 われわれはちょうどわれわ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・弟余を顧みて曰く、秀吉の時代、義経の時代、或は又た明治の初年に逢遇せざりしを恨みしは、一、二年前のことなりしも、今にしては実に当代現今に生れたりしを喜ぶ。後世少年吾等を羨むこと幾許ぞと。余、甚だ然りと答へ、ともに奮励して大いに為すあらんこと・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・が、主人はそれを顧みもせずやっぱり毀れた猪口の砕片をじっと見ている。 細君は笑いながら、「あなたにもお似合いなさらない、マアどうしたのです。そんなものは仕方がありませんから捨てておしまいなすって、サアーツ新規に召し上れな。」とい・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・思わず私は太郎を顧みて、「太郎さん、お前の家かい。」「これが僕の家サ。」 やがて私はその石垣を曲がって、太郎自身の筆で屋号を書いた農家風の入り口の押し戸の前に行って立った。四方木屋。 太郎には私は自身に作れるだけの田・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・スバーは、我と我身を顧みました。自分に問をかけても見ました、が、合点の行く答えは、何処からも来ません。 或る満月の晩おそく、彼女は静かに部屋の戸を開けて、こわごわ戸外を覗いて見ました。淋しいスバーと同じように、彼女自身満月の自然は、凝っ・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
出典:青空文庫