・・・もしもそれらのある商品の内容が他の類品に比べて著しく優秀であって、そうして、その優秀なことが顧客に一目ですぐわかるのであったら、広告の意義と効能は消滅するであろう。しかるに化粧品や売薬の類は実際使いくらべてみた当人にも優劣の確かな認識はでき・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・これは建築者の設計の中に神経過敏な顧客の心理という因子を勘定に入れなかったためであろう。 自分はいつでもこの帳場の前を通ってまずドイツ書のある所へ行く。ここはちょっと一つの独立な区画になっている、戦争前には哲学、美術、科学とそれぞれの部・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・るや否や、忽ち内務省からは風俗壊乱、発売禁止、本屋からは損害賠償の手詰の談判、さて文壇からは引続き歓楽に哀傷に、放蕩に追憶と、身に引受けた看板の瑕に等しき悪名が、今はもっけの幸に、高等遊民不良少年をお顧客の文芸雑誌で飯を喰う売文の奴とまで成・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ わたしがこの質屋の顧客となった来歴は家へ出入する車屋の女房に頼んで内所でその通帳を貸してもらったからで。それから唖々子と島田とがつづいて暖簾をくぐるようになったのである。 もうそろそろ夜風の寒くなりかけた頃の晦日であったが、日が暮・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・マーニャが世間によくある若い女のように自分の境遇にまけて、一軒でもお顧客をふやそうとあくせくしたり、相手の御機嫌を損じまいと気色をうかがったりする卑屈さを、ちっとも持たなかったということは面白いところです。生活の必要から家庭教師をしているけ・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
・・・小さい商売を定った顧客対手にしつつ、その間で金を蓄めようとする小売商人は根性がどうも立派でない。避暑地や遊覧地の商人と共通な或るものをもっている。その絶間なく小さい狡いことをされる顧客の大部分がまた過去に於てせくせく蓄めた金をもって引込んで・・・ 宮本百合子 「是は現実的な感想」
・・・これでお顧客さえふえりゃ堂々たるもんだわ」「ベビー服で降参するだろうって云った人だあれ。せいぜい紹介してよ」 ピンを肌に刺さないように、そしてまた折角さしたピンを落してしまわないようにと、むき出しの両腕を揃えて頭の上へ高くあげ、それ・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・「そりゃ市内からいらしっちゃ蕎麥や鮨は駄目です」「こんなのっきゃないのかい」「何にしろ一軒ぎりですからね」「ふうむ――いい店出したって立ち行かないんだろうね」「顧客の数がきまってますからね――若旦那、御卒業なすったらこち・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・「私に充分正当の理由のある衝突でこうやっているのに、顧客まで失くしちゃいられないわ、ねえ」 彼女は、自分のところへ来た注文はどんな小さいものでも、洩れなくアーニャにダーリヤの二階まで運ばせた。彼等夫婦の間には他人の理解出来ない特別の・・・ 宮本百合子 「街」
出典:青空文庫