・・・ 舳櫓の船子は海上鎮護の神の御声に気を奮い、やにわに艪をば立直して、曳々声を揚げて盪しければ、船は難無く風波を凌ぎて、今は我物なり、大権現の冥護はあるぞ、と船子はたちまち力を得て、ここを先途と漕げども、盪せども、ますます暴るる浪の勢に、・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・あの島々と、上の鷲頭山に包まれて、この海岸は、これから先、小海、重寺、口野などとなりますと、御覧の通り不穏な駿河湾が、山の根を奥へ奥へと深く入込んでおりますから、風波の恐怖といってはほとんどありません――そのかわり、山の麓の隅の隅が、山扁の・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・実に日蓮が闘争的、熱狂的で、あるときは傲慢にして、風波を喜ぶ荒々しき性格であるかのように見ゆる誤解は、この身延の隠棲九年間の静寂と、その間に諸国の信徒や、檀那や、故郷の人々等へ書かれた、世にもやさしく美しく、感動すべき幾多の消息によって、完・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・母はなかなかきかない気象の婦人であったから、存命中は婿養子との折合も好くなく、とかく家庭に風波の絶間もなかったが、それだけ一方にはしゃんとしたところを持っていた。お三輪が娘時分に朝寝の枕もとへ来て、一声で床を離れなかったら、さっさと蒲団を片・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・を宣伝するために、一家に風波が立つ。双方互角である場合はまだ幸いである。いずれか一方の勢力がまされば禍である。同じような事は、違った人生観や社会観を持った人々の群れの間に行なわれる。いずれも一つの善い事を宣伝せんために他の善い事の存在を否定・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・何が故に平地に風波を起して、余計な私と云うものを建立するのが便宜かと申すと、「私」と、一たび建立するとその裏には、「あなた方」と、私以外のものも建立する訳になりますから、物我の区別がこれでつきます。そこがいらざる葛藤で、また必要な便宜なので・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・養家に行きて気随気儘に身を持崩し妻に疏まれ、又は由なき事に舅を恨み譏りて家内に風波を起し、終に離縁されても其身の恥辱とするに足らざるか。ソンナ不理窟はなかる可し。女子の身に恥ず可きことは男子に於ても亦恥ず可き所のものなり。故に父母の子を教訓・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 主人の内行修まらざるがために、一家内に様々の風波を起こして家人の情を痛ましめ、以てその私徳の発達を妨げ、不孝の子を生じ、不悌不友の兄弟姉妹を作るは、固より免るべからざるの結果にして、怪しむに足らざる所なれども、ここに最も憐れむべきは、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・あの靄の輪廓に取り巻かれている辺には、大船に乗って風波を破って行く大胆な海国の民の住んでいる町々があるのだ。その船人はまだ船の櫓の掻き分けた事のない、沈黙の潮の上を船で渡るのだ。荒海の怒に逢うては、世の常の迷も苦も無くなってしまうであろう。・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・人生の風波の間に、自分という可愛い小舟をホンローさせず、人間、女として自身の進路を見出してゆかなければならないと思います。 どうか皆さま、お元気に。よろこびが、あなたの前途にみちているように。苦しみと悲しみがあなたを囲んだとき、涙の・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
出典:青空文庫