・・・このような障害の根を絶つためには、一般の世間が平素から科学知識の水準をずっと高めてにせ物と本物とを鑑別する目を肥やしそして本物を尊重しにせ物を排斥するような風習を養うのがいちばん近道で有効ではないかと思ってみた。そういう事が不可能ではない事・・・ 寺田寅彦 「断水の日」
・・・ カラザンという土地には奇妙な風習があった。異郷から来た旅人が宿泊した時に、その人が風采も立派で勇気があって優れた人物だと思うと、夜中に不意を襲って暗殺してしまう。暗殺の目的は金や持物ではなくて、その旅人の有っている技能や智慧や勇気が魂・・・ 寺田寅彦 「マルコポロから」
・・・此の風習は伝えられて昭和の今日に及んでいる。公園は之がために年と共に俗了し、今は唯病樹の乱立する間に朽廃した旧時の堂宇と、取残された博覧会の建築物とを見るばかりとなった。わたくしをして言わしむれば、東京市現時の形勢より考えて、上野の公園地は・・・ 永井荷風 「上野」
・・・しかしわたくしの見る処では、これは前の時代の風習の残影に過ぎない。人の家の床の間に画幅の掛けられているのを見て、直にその家の主人を以て美術の鑑賞家となす事の当らざるに似ているであろう。世にはまた色紙短冊のたぐいに揮毫を求める好事家があるが、・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・例えば永代橋辺と両国辺とは、土地の商業をはじめ万事が同じではなかったように、吉原の遊里もまたどうやらこうやら伝来の風習と格式とを持続して行く事ができたのである。 泉鏡花の小説『註文帳』が雑誌『新小説』に出たのは明治三十四年で、一葉柳浪二・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・何物にかぎらず多年使い馴れた器物を愛惜して、幾度となく之を修繕しつつ使用していたような醇朴な風習が今は既に蕩然として後を断ったのも此の一事によって推知せられる。 明治三十年の春明治座で、先代の左団次が鋳掛松を演じた時、鋳掛屋の呼び歩く声・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・世間ではまだ鎌倉あたりへ別荘を建てて子弟の遊場をつくるような風習がなかった。尋常中学へ這入って一、二年過ぎた頃かと思う。季節が少し寒くなりかかると、泳げないから浅草橋あたりまで行って釣舟屋の舟を借り、両国から向嶋、永代から品川の砲台あたりま・・・ 永井荷風 「向島」
・・・其故、私は真に徹した生活をして居る者の価値は、日常生活の風習の差異等を眼中に置かない共鳴を持つと信じて居ります。然し、私が此から観て行こうとするのは、一般でございます。中位の一群でございます。私が故国の女性を思うと同じ一般の女性を語ろうとす・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・十九世紀にオースティンが非常に諷刺的に書いた状態は、封建的な風習の多くのこっている日本のなかにはまだつよく残っている。同じ十九世紀に、ポーランドの婦人作家オルゼシュコの書いた小説「寡婦マルタ」を、きょう戦争で一家の柱を失った婦人たちがよむと・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・ 昨今注目されているデカダンス、エロティシズムの傾向も、その作家たちの主張するところによれば、いずれも封建的な日本の偽善と形式的独善の風習への反抗であり、ある主張によれば軽薄にいわれている日本の民主的解放という流行語にたいする辛辣な反措・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
出典:青空文庫