・・・またおしゃまな娘美登里の住んでいた大黒屋の寮なども大方このあたりのすたれた寺や、風雅な潜門の家を、そのまま資料にしたものであろうと、通るごとにわたくしは門の内をのぞかずにはいられなかった。江戸時代に楓の名所といわれた正燈寺もまた大音寺前にあ・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・わたくしが父に伴われて行った料理茶屋は堀端に生茂った松林のかげに風雅な柴折門を結んだ茅葺の家であった。門内は一面の梅林で、既に盛りを過した梅の花は今しも紛々として散りかけている最中であった。父はわたくしが立止って顔の上に散りかかる落梅を見上・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・笑うてかなたの障子を開けば大空に突っ立ちあがりし万仞の不尽、夕日に紅葉なす雲になぶられて見る見る万象と共に暮れかかるけしき到る処風雅の種なり。 はしなく浮世の用事思いいだされければ朝とくより乗合馬車の片隅にうずくまりて行くてを急ぎたる我・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・これは日本の生産との関係から肯けることであり、その態度には「農業を風雅なものとか、辛苦の多いものとか甘い感傷の歌は殆どなく」「職業としての農業をつよく意識し」「自意識と批評精神から来る重く苦しいものが流れていて、これが正に農業を営んでいる人・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・芭蕉というと枯淡と言葉を合わせ、一笠一杖の人生行脚の姿を感傷的に描くのが俗流風雅の好みである。真実の芸術家として、芭蕉が「此一筋につながる」とばかり執拗に、果敢に破綻をもおそれず、即発燃焼を志して一箇の芸術境をきずいて行った姿というものは、・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・その人は眼を丸くし、暫く考えた後、それはきっと「フランドル人はその安楽な生活の習慣のうちに、非常に風雅な趣を蔵している」という意味だなと合点する。そうして、バルザックはどうしてこんな衒学的な物言いをするのであろうかと不思議がる。翻訳しながら・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・を賞玩するのを、愛する日本の伝統は、今日の風雅と称するのである。 四 今日の勘 芸術諸般の極意に達する心理的、生理的な過程を、日本人は勘という表現であらわして来た。ある程度までは説明がつく、それから先は勘でのみ・・・ 宮本百合子 「文学上の復古的提唱に対して」
・・・それだのに枕草子の作者は、当時の風雅の瑣末に敏感な官女らしさで自分を中心に描き出しているのはいわば品さがっていて何だかくちおしい。もし彼女がもう一皮真から常識をぬけていたらば、この朝のおとなしくやさしい人間の愛着の姿がもっとまざまざと描かれ・・・ 宮本百合子 「山の彼方は」
出典:青空文庫