・・・晩の米が無いから、明日の朝食べる物が無いから――と云っては、その度に五十銭一円と強請って来た。Kは小言を並べながらも、金の無い時には古本や古着古靴などまで持たして寄越した。彼は帰って来て、「そうらお土産……」と、赤い顔する細君の前へ押遣るの・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ そして絶え間のない恐怖の夢を見ながら、物を食べる元気さえ失せて、遂には――死んでしまう。 爪のない猫! こんな、便りない、哀れな心持のものがあろうか! 空想を失ってしまった詩人、早発性痴呆に陥った天才にも似ている! この空想はいつ・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・知らんとおったのが御飯を食べるとき醤油が染みてな」義母が峻にそう言った。「もっとぎうとお出し」姉は怒ってしまって、邪慳に掌を引っ張っている。そのたびに勝子は火の付くように泣声を高くする。「もう知らん、放っといてやる」しまいに姉は掌を・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・七日には、なな草のあえもの、十五日には朝早くとんどをして茅の箸で小豆粥を食べる。それがすむと、豆撒きの節分を待つ。 四季折々の年中行事は、自然に接し、又その中へはいりこみ、そしてそれをたのしむ方法として、祖先が長い間かかってつくりあげた・・・ 黒島伝治 「四季とその折々」
・・・勿論厳格に仕付けられたのだから別に苦労には思わなかったが、兎に角余程早く起き出て手捷くやらないでは学校へ往く間に合うようには出来ないのみならず、この事が悉皆済んで仕舞わないうちは誰も朝飯を食べることは出来ないのでした。斯のように神仏を崇敬す・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・「もういいからお前もそこで御飯を食べるがいい。」と主人は陶然とした容子で細君の労を謝して勧めた。「はい、有り難う。」と手短に答えたが、思わず主人の顔を見て細君はうち微笑みつつ、「どうも大層いいお色におなりなさいましたね、・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・困ります、何処へでも忠実にお歩きあそばせば、御贔屓のお方もいかいこと有りまして来い/\と仰しゃるのにお出でにもならず、実に困ります、殊に日外中度々お手紙をよこして下すった番町の石川様にもお気の毒様で、食べるお米が無くっても、あなたは心柄で宜・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・何か食べる物でも置いてやらないと、そこいら中あの犬が狩りからかす」 と言いかけて、おげんは弟の土産の菓子を二つ三つ紙の上に載せ、それを部屋の障子の方へ持って行った。しばらくおげんは菓子を手にしたまま、障子の側に立って、廊下を通る物音に耳・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・夫婦は、かわいそうだと思って、じぶんたちの食べるものを分けてやりました。 乞食のじいさんは、二人が、へんにしおしおしているのを見て、どうしたわけかと聞きました。二人は、生れた子どもの名附親になってくれる人がないから困っているところだと話・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・ 火災からひなんしたすべての人たちのうち、おそらく少くとも百二十万以上の人は、ようやくのことで、上にあげた、それぞれの広地や、郊外の野原なぞにたどりつき、飲むものも食べるものもなしに、一晩中、くらやみの地上におびえあつまっていたのです。・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
出典:青空文庫