・・・―― 陳は麦酒を飲み干すと、徐に大きな体を起して、帳場机の前へ歩み寄った。「陳さん。いつ私に指環を買って下すって?」 女はこう云う間にも、依然として鉛筆を動かしている。「その指環がなくなったら。」 陳は小銭を探りながら、・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・残っているウイスキイを勢いよく、ぐいと飲み干すと、急に鬚だらけの顔を近づけて、本間さんの耳もとへ酒臭い口を寄せながら、ほとんど噛みつきでもしそうな調子で、囁いた。「もし君が他言しないと云う約束さえすれば、その中の一つくらいは洩らしてあげ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・喉が乾いて居ると見えて、お婆さんは殆ど機械的に三杯お茶を飲み干すと、始めて人心地が付いたように、眼を大きくして、四辺を見廻した。そして、手拭で頭の汗を掻くと、其を顎の辺に止めたまま、いきなり「今日は、はあお仙さと伺いを立てにいぎやしてな・・・ 宮本百合子 「麦畑」
出典:青空文庫