実際は自分が何歳の時の事であったか、自分でそれを覚えて居たのではなかった。自分が四つの年の暮であったということは、後に母や姉から聞いての記憶であるらしい。 煤掃きも済み餅搗きも終えて、家の中も庭のまわりも広々と綺麗にな・・・ 伊藤左千夫 「守の家」
・・・歳暮の町には餅搗きの音が起こっていた。花屋の前には梅と福寿草をあしらった植木鉢が並んでいた。そんな風俗画は、町がどこをどう帰っていいかわからなくなりはじめるにつれて、だんだん美しくなった。自分のまだ一度も踏まなかった路――そこでは米を磨いで・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・但、二部屋とれるかどうかは疑問だ。餅搗きの音がした。十二月二十八日 目が醒めると、隣に尺八を吹く人あり。少し悲観。部屋を、直ぐ横の六畳二つにして貰う。 実に、すばらしい天気。碧い空、日光を吸って居る暖かそうな錆金色の枯草山、・・・ 宮本百合子 「湯ヶ島の数日」
・・・それからまた庭に這入って、餅搗き用の杵を撫でてみた。が、またぶらぶら流し元まで戻って来ると俎を裏返してみたが急に彼は井戸傍の跳ね釣瓶の下へ駆け出した。「これは甘いぞ、甘いぞ。」 そういいながら吉は釣瓶の尻の重りに縛り付けられた欅の丸・・・ 横光利一 「笑われた子」
出典:青空文庫