・・・その日の中を向こうへ突きって、休所へはいったら、誰かが蕎麦饅頭を食えと言ってくれた。僕は、腹がへっていたから、すぐに一つとって口へ入れた。そこへ大学の松浦先生が来て、骨上げのことか何か僕に話しかけられたように思う。僕は、天とうも蕎麦饅頭もし・・・ 芥川竜之介 「葬儀記」
・・・ 白砂の小山の畦道に、菜畑の菜よりも暖かそうな、おのが影法師を、われと慰むように、太い杖に片手づきしては、腰を休め休め近づいたのを、見ると、大黒頭巾に似た、饅頭形の黄なる帽子を頂き、袖なしの羽織を、ほかりと着込んで、腰に毛巾着を覗かせた・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・た下なる納戸に、自分が座の、人なき薄汚れた座蒲団のあたりを見て、婆さんは後見らるる風情であったが、声を低うし、「全体あの爺は甲州街道で、小商人、煮売屋ともつかず、茶屋ともつかず、駄菓子だの、柿だの饅頭だのを商いまする内の隠居でございまし・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 引続いては兵隊饅頭、鶏卵入の滋養麺麭。……かるめら焼のお婆さんは、小さな店に鍋一つ、七つ五つ、孫の数ほど、ちょんぼりと並べて寂しい。 茶めし餡掛、一品料理、一番高い中空の赤行燈は、牛鍋の看板で、一山三銭二銭に鬻ぐ。蜜柑、林檎の水菓・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・十八の歳に下寺町の坂道で氷饅頭を売ったことがあるが、資本がまるきり無かった故大工の使う鉋の古いので氷をかいて欠けた茶碗に入れ、氷饅頭を作ったこともある。冷やし飴も売り、夜泣きうどんの屋台車も引いた。競馬場へ巻寿司を売りに行ったこともある。夜・・・ 織田作之助 「世相」
・・・行くと、無論一流の店へははいらず、よくて高津の湯豆腐屋、下は夜店のドテ焼、粕饅頭から、戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁と皮鯨汁、道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭」の関東煮、千日前常盤座横・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・中隊長は、前哨に送った部下の偵察隊が、××の歩哨と、馴れ/\しく話し合い、飯盒で焚いた飯を分け、相手から、粟の饅頭を貰い、全く、仲間となってしまっているのを発見して、真紅になった。「何をしているか!」 中隊長は、いきなり一喝した。・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・の札を立てている焼き饅頭を買って、やっと空腹を医した。「下駄は足がだるい。」「やっぱり草履の方がなんぼ歩きえいか知れん。」 両人はそんな述懐をしながら、またとぼとぼ歩いた。 帰りには道に迷った。歩きくたびれた上にも歩いてやっ・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・肥った饅頭面の、眼の小さい、随分おもしろい盛んな湾泊者で、相撲を取って負かして置いて罵って遣ると、小さい眼からポロポロと涙を溢しながら非常な勢いで突かかって来るというような愉快な男でした。それで、己は周勃と陳平とを一緒にしたんだなどと意張る・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ このようなことを言っているところへ、初やが狐饅頭を買って帰ってくる。小提灯を消すと、蝋燭から白い煙がふわふわと揚る。「奥さま、今度の狐もやっぱり似とりますわいの」と言ってげらげらと初やが笑う。 饅頭を食べながら話を聞くと、この・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
出典:青空文庫