・・・「奈良漬、結構。……お弁当もこれが関でげすぜ、旦那。」 と、幇間が茶づけをすする音、さらさらさら。スウーと歯ぜせりをしながら、「天気は極上、大猟でげすぜ、旦那。」「首途に、くそ忌々しい事があるんだ。どうだかなあ。さらけ留めて・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 謙三郎は琵琶に命じて、お通の名をば呼ばしめしが、来るべき人のあらざるに、いつもの事とはいいながら、あすは戦地に赴く身の、再び見、再び聞き得べき声にあらねば、意を決したる首途にも、渠はそぞろに涙ぐみぬ。 時に椽側に跫音あり。女々しき・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・明直にいえば、それが、うぐい亭のお藻代が、白い手の幻影になる首途であった。 その夜、松の中を小提灯で送り出た、中京、名古屋の一客――畜生め色男――は、枝折戸口で別れるのに、恋々としてお藻代を強いて、東の新地――廓の待合、明保野という、す・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・いつ成るとも判らぬこのやくざな仕事の首途を祝い、君とふたりでつつましく乾杯しよう。仕事はそれからである。 私は生れてはじめて地べたに立ったときのことを思い出す。雨あがりの青空。雨あがりの黒土。梅の花。あれは、きっと裏庭である。女・・・ 太宰治 「玩具」
・・・われ浮世の旅の首途してよりここに二十五年、南海の故郷をさまよい出でしよりここに十年、東都の仮住居を見すてしよりここに十日、身は今旅の旅に在りながら風雲の念いなお已み難く頻りに道祖神にさわがされて霖雨の晴間をうかがい草鞋よ脚半よと身をつくろい・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ 房々と白い花房を垂れ、日向でほのかに匂う三月の白藤の花の姿は、その後間もなく時代的な波瀾の裡におかれた私たち夫婦の生活の首途に、今も清々として薫っている。 その時分、古田中さんのお住居は、青山師範の裏にあたるところにあった。ある夏・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・其金と、自分等の書籍と、僅かな粗末な家具が新生涯の首途に伴う全財産なのである。 兎に角、いくら探しても適当な家がないので、仕方なく、まだ人の定らない、十番地の家にすることに決定して仕舞った。 敷金と、証文とをやり、八畳、六畳、三畳、・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・高杉早苗の新婚旅行の首途に偶然行きあわせたと云って、翌朝は工場のストーブのかげで互に抱き合い泣かんばかりに感激する娘たちの青春に向って、その境遇さながら、最もおくれた感情内容を最新の経済と科学の技術で結び合わした情熱の消耗品がうりだされてい・・・ 宮本百合子 「観る人・観せられる人」
出典:青空文庫