・・・女房の方では少しもそんなことは知らないでいたが、先達ある馬方が、饅頭の借りを払ったとか払わないとかでその女房に口論をしかけて、「ええ、この狐め」「何でわしが狐かい」「狐じゃい。知らんのか。鏡を出してこの招牌と較べてみい。間抜けめ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・アラビア人の馬方が道のまん中に突っ立った驢馬をひき寄せようとするがなかなかいこじに言うことを聞かない。馬方はとうとう自分ですべって引っくりかえって白いほこりがぱっと上がる。おおぜいがどっと笑う。これが序曲である。 一編の終章にはやはり熱・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ この場合において馬方は資本家であり、馬は労働者である。ただ人間の労働者とちがうのは、口が利けない事である。プロパガンダの出来ない事である。 馬と人間と一つにはならないという人があるだろう。 そんな理窟がどこから出て来るかを聞き・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・空車を曳いた馬がいかにも疲れたらしく、鬣を垂れ、馬方の背に額を押しつけながら歩いて行く。職人らしい男が二、三輛ずつ自転車をつらね高声に話しながら走り過る……。 道は忽ち静になって人通りは絶え、霜枯れの雑草と枯蘆とに蔽われた空地の中に進入・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・彼は六十越しても大抵は其時の馬方姿である。従来酒は嫌な上に女の情というものを味う機会がなかったので彼は唯働くより外に道楽のない壮夫であった。其勤勉に報うる幸運が彼を導いて今の家に送った。彼は養子に望まれたのである。其家は代々の稼ぎ手で家も屋・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・私は坐ってジッとして居ると目の前に広重の絵のような駅の様子や馬方の大福をかじって戻る茶店なんかがひろがって行く。さしあたって行くところもないんだしするから、女の身でやたらに行きたがったってしようがないって云うことは知って居る。けれども、あの・・・ 宮本百合子 「日記」
出典:青空文庫