・・・瀬音の高い川沿いの、松並木の断続した馬糞に汚れた雪路を一里ばかりも行ったところが、そのG村であった。国道沿いながら大きな山の蔭になっていて、戸数の百もあろうかというまったくの寒村であった。 かなり長い急な山裾の切通し坂をぐるりと廻って上・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・それが、雪の中で冬を過し、夏、道路に棄てられた馬糞が乾燥してほこりになり、空中にとびまわる、それを呼吸しているうちに、いつのまにか、肉が落ち、咳が出るようになってしまった。気候が悪いのだ。その間、一年半ばかりのうちに彼は、ロシア人を殺し、つ・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・は無いが、自分は先輩のいかにも先輩だけあるのに感服させられて、ハイなるほどそうですネ、ハイなるほどそうですネ、と云っていると、東坡巾の先生はてんぜんとして笑出して、君そんなに感服ばかりしていると、今に馬糞の道傍に盛上がっているのまで春の景色・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・駅の前の広場、といっても、石ころと馬糞とガタ馬車二台、淋しい広場に私と大久保とが鞄をさげてしょんぼり立った。「来た! 来た!」大久保は絶叫した。 大きい男が、笑いながら町の方からやって来た。中畑さんである。中畑さんは、私の姿を見ても・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・めだかの模様の襦袢に慈姑の模様の綿入れ胴衣を重ねて着ている太郎は、はだしのままで村の馬糞だらけの砂利道を東へ歩いた。ねむたげに眼を半分とじて小さい息をせわしなく吐きながら歩いた。 翌る朝、村は騒動であった。三歳の太郎が村からたっぷり一里・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・これが馬糞などと一緒に散らばっているのを平気で拾って喰うのであった。われわれ当時の自然児にはそれが汚いともなんとも思われなかった。これらの樹の実を尋ねて飛んで来る木椋鳥の大群も愉快な見物であった。「千羽に一羽の毒がある」と云ってこの鳥の捕獲・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・ 善ニョムさんは感心して、肥料小屋に整然と長方形に盛りあげられた肥料を見た。馬糞と、藁の腐ったのと、人糞を枯らしたのを、ジックリと揉み合して調配したのが、いい加減の臭気となって、善ニョムさんの鼻孔をくすぐった。 善ニョムさんは、片手・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・疲れたる膝栗毛に鞭打ちてひた急ぎにいそぐに烏羽玉の闇は一寸さきの馬糞も見えず。足引きずる山路にかかりて後は人にも逢わず家もなし。ふりかえれば遥かの山本に里の灯二ッ三ッ消えつ明りつ。折々颯と吹く風につれて犬の吠ゆる声谷川の響にまじりて聞こゆる・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・レールが敷いてある。馬糞がごろた石の間にある。岸壁へ出て、半分倉庫みたいな半分事務所のような商船組合の前で荷馬車がとまった。目の前に、古びた貨物船が繋留されている。それが我等を日本へつれてゆく天草丸だった。 そこからは、入りくんだ海の面・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・それを曲って、わきの空地に馬糞がある。蠅がとんでいる。――町はずれである。 二人の日本女は、右手に見える白い大拱門を入って行った。非常な興味を顔に現わして、正面に見える建物の破風や、手前にある夏草のたけ高く茂った庭へ置いてある緑色ベンチ・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
出典:青空文庫