・・・ところが、あの年は馬鹿にまた猟がなくて、これじゃとてもしようがないからというので、船長始め皆が相談の上、一番度胸を据えて露西亜の方へ密猟と出かけたんだ。すると、運の悪い時は悪いもので、コマンドルスキーというとこでバッタリ出合したのが向うの軍・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・なにが解消なもんかと、なにか莫迦にされているような気がした。 いつか狭霧が晴れ、川音が陽の光をふるわせて、伝わって来た。女のいかつい肩に陽の光がしきりに降り注いだ。男じみたいかり肩が一層石女を感じさせるようだと、見ていると、突然女は立ち・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ええ、馬鹿くさい! そんな事は如何でも好いではないか? と、また腫はれまぶたを夢に閉じられて了った。 先刻から覚めてはいるけれど、尚お眼を瞑ったままで臥ているのは、閉じたまぶたごしにも日光が見透されて、開けば必ず眼を射られるを厭うか・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・そしてまたその葉が馬鹿に大きくて、毎日見て毎日大きくなっている。その癖もう八月に入ってるというのに、一向花が咲かなかった。 いよ/\敷金切れ、滞納四ヵ月という処から家主との関係が断絶して、三百がやって来るようになってからも、もう一月程も・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・なんとか言ってやらないと馬鹿に思われるような気がしたが止めて外へ出る。せっかく気持よくなりかけていたものをと思うと妙に腹が立った。友人の下宿へ行って石鹸は洗いおとした。それからしばらく雑談した。 自分は話をしているうちに友人の顔が変に遠・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・書記官と聞きたる綱雄は、浮世の波に漂わさるるこのあわれなる奴と見下し、去年哲学の業を卒えたる学士と聞きたる辰弥は、迂遠極まる空理の中に一生を葬る馬鹿者かとひそかに冷笑う。善平はさらに罪もなげに、定めてともに尊敬し合いたることと、独りほくほく・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・』『吉さんだって少しは案じ事もあろうよ、案じ事のないものは馬鹿と馬鹿だというから。』『まだある若旦那』と小さな声で言うお常もその仲間なるべし。それよりか海に行こうとお絹の高い声に、店の内にて、もう遅いゆえやめよというは叔父なり、・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・けれども、実際には、帳尻を合わしていない、投げやりな、そういう者に限って人のいゝ男が、ひどい馬鹿を見るのだ。 憲兵が取調べる際にも、やはり、その弱点を掴むことに伍長と上等兵の眼は向けられた。彼等は、犯人らしい、多くの弱点を持っている者を・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・故人成田屋が今の幸四郎、当時の染五郎を連れて釣に出た時、芸道舞台上では指図を仰いでも、勝手にしなせいと突放して教えてくれなかったくせに、舟では染五郎の座りようを咎めて、そんな馬鹿な坐りようがあるかと激しく叱ったということを、幸四郎さんから直・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・にならないで、「馬鹿なやつだ」「わるいやつだ」になって、生き恥をさらしている。もしこのうえ生きれば、さらに生き恥が大きくなるばかりかも知れぬ。 故に、短命なる死、不自然なる死ということは、かならずしも嫌悪し、哀弔すべきではない。もし死に・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
出典:青空文庫