・・・その日私は学校に居りますと、突然旧友の一人が訪ねて参りましたので、幸い午後からは授業の時間もございませんから、一しょに学校を出て、駿河台下のあるカッフェへ飯を食いに参りました。駿河台下には、御承知の通りあの四つ辻の近くに、大時計が一つござい・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・中西が来たとなれば、僕はこれから駿河台の大将に会っておくほうがいいと思う。」「なるほどそれはそのほうがいい。」「それから今夜は沢田を呼んで、見本の説明の順序をよく作っておいてもらうことにする。」「なるほど、そいつはなお大切だ。わ・・・ 国木田独歩 「疲労」
・・・自分は駿河台の友人を訪ねて、夜に入ってその家を辞して赤坂の自宅を指して途を急いだ。 この夜は霧が深く立てこめていて、街頭のガス燈や電気燈の周囲に凝っている水蒸気が美しく光っておぼろな輪をかけていた。往来の人や車が幻影のように現われては幻・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・しかしその時はそれきりで、何を考えたという事さえ忘れてしまっていたが、その後二三日たったある日の夕方、駿河台下まで散歩していた時に、とある屋根の上に明滅している仁丹の広告を見るとまた突然この同じ文字が頭の中に照らし出された。あの広告のイルミ・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・御茶の水橋は中程の両側が少し崩れただけで残っていたが駿河台は全部焦土であった。明治大学前に黒焦の死体がころがっていて一枚の焼けたトタン板が被せてあった。神保町から一ツ橋まで来て見ると気象台も大部分は焼けたらしいが官舎が不思議に残っているのが・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・ただその後に一度駿河台の家へ何かの演奏会の切符をもらいに行った事がある。その時は今の深田博士が玄関へ出て来て切符を渡してくれた事を覚えている。これも恥ずかしい事である。その家の門の表札にはラファエル・フォン・コウィベルとしてあった。 全・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・――と、その時分私の眼に映ったのは、今も駿河台に病院を持って居る佐々木博士の養父だとかいう、佐々木東洋という人だ。あの人は誰もよく知って居る変人だが、世間はあの人を必要として居る。而もあの人は己を曲ぐることなくして立派にやって行く。それから・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・ そのうちに僕は中学へはいったが、途中でよしてしまって、予備門へはいる準備のため駿河台にそのころあった成立学舎へはいった。そのころの友人にはだいぶえらくなったやつがある。それから予備門へはいった。山田美妙斎とは同級だったが、格別心やすう・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
静な町から来た私には駿河台と小川町の通はあんまりにぎやかすぎた。駿河台で電車を下りるとすぐ一つの心配が持ち立った。それは自分のつれて居るじいやが田舎出だからと云う事であった。電車をおりるとすぐ彼は私とあべこべの方へ行ってらした。そ・・・ 宮本百合子 「心配」
・・・ 駿河台のニコライ大主教 ○日本に五十五年も居て明治45年に死んだ。来たのはハコダテの領事館づき。その頃はこだては榎本武揚の事があった故か仙台の浪人が多く居た。一人、四国の漢学者の浪人アリ。攘夷論の熾なとき故一つ殺し・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
出典:青空文庫