・・・この腰掛で若い者が踊子と戯れ騒ぐのさえ、爺さんは見馴れているせいか、何が面白いのだと言わぬばかりの顔附で見向きもしなかった。 寒くなると、爺さんは下駄棚のかげになった狭い通路の壁際で股火をしながら居睡をしているので、外からも、内からも、・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・ * 夕暮よりも薄暗い入梅の午後牛天神の森蔭に紫陽花の咲出る頃、または旅烏の啼き騒ぐ秋の夕方沢蔵稲荷の大榎の止む間もなく落葉する頃、私は散歩の杖を伝通院の門外なる大黒天の階に休めさせる。その度に堂内に安置された・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・塔を繞る音、壁にあたる音の次第に募ると思ううち、城の内にて俄かに人の騒ぐ気合がする。それが漸々烈しくなる。千里の深きより来る地震の秒を刻み分を刻んで押し寄せるなと心付けばそれが夜鴉の城の真下で破裂したかと思う響がする。――シーワルドの眉は毛・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・心傲れる市民の、君の政非なりとて蟻のごとく塔下に押し寄せて犇めき騒ぐときもまた塔上の鐘を鳴らす。塔上の鐘は事あれば必ず鳴らす。ある時は無二に鳴らし、ある時は無三に鳴らす。祖来る時は祖を殺しても鳴らし、仏来る時は仏を殺しても鳴らした。霜の朝、・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ さっきこの庭へ三人の子供が来て一匹の子猫を追いまわしてつかまえて往ったが、彼らはまだその猫を持て遊んで居ると見えて垣の外に騒ぐ声が聞える。竹か何かで猫を打つのであるか猫はニャーニャーと細い悲しい声で鳴く。すると高ちャんという子の声で「・・・ 正岡子規 「飯待つ間」
・・・釣台には油単が掛って居て何も見えぬけれども人の騒ぐ音で町へ這入った事は分る。殊に往来の多いのと太鼓などの鳴って居るのとで考えると土地の祭礼であるという事も分った。上陸した嬉しさと歩行く事も出来ぬ悲しさとで今まで煩悶して居た頭脳は、祭礼の中を・・・ 正岡子規 「病」
・・・部屋の中で座布団をぶつけ合って騒ぐ。或はもう少しおとなしい子供らしく静かに電車ごっこでもする。遊びはいつもの遊びなのだが何だか部屋の隅々が暗く、物の陰翳が深く、様子が違う。その何だか違う感じが小さい子の感情を限りなく魅する。ちょっぴりこわい・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・ * * * 川桝の内では一人も残らず起きて、廊下の隅々の電灯まで附けて、主人と隠居とが大勢のものの騒ぐのを制しながら、四畳半に来て見た。直ぐに使を出したので、医師が来る。巡査が来る。続いて刑事係が・・・ 森鴎外 「心中」
・・・時までの記章にはおれが秘蔵のこの匕首(これにはおれの精神匕首を残せば和女もこれで煩悩の羈をばのう……なみだは無益ぞ』と日ごろからこの身はわれながら雄々しくしているに、今日ばかりはいかにしてこう胸が立ち騒ぐか。別離の時のお言葉は耳にとまって…・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ 彼の妻はいつものような冷淡な顔をして、相手の騒ぐ様子を眺めていた。「お前、苦しいのかい。おっ母さんはね、毎日お前のことばかり思ってたんだよ。早く来たくって来たくって、しょうがなかったんだけど、皆家のものが病気ばかりしていてね。」・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫