・・・しかもその糺問の声は調子づいてだんだん高められて、果ては何処からともなくそわそわと物音のする夕暮れの町の空気が、この癇高な叫び声で埋められてしまうほどになった。 しばらく躊躇していたその子供は、やがて引きずられるように配達車の所までやっ・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・同業者の幾人が同じ目的をもって多くの材料を求め走ったと聞いて、自分は更に恐怖心を高めた。 五寸角の土台数十丁一寸厚みの松板数十枚は時を移さず、牛舎に運ばれた。もちろん大工を呼ぶ暇は無い。三人の男共を指揮して、数時間豪雨の音も忘れるまで活・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・時になったらば消えるであろうか、金銭を弄び下等の淫楽に耽るの外、被服頭髪の流行等極めて浅薄なる娯楽に目も又足らざるの観あるは、誠に嘆しき次第である、それに換うるにこれを以てせば、いかばかり家庭の品位を高め趣味的の娯楽が深からんに、躁狂卑俗蕩・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・人間の可能性は例えばスタンダールがスタンダール自身の可能性即ちジュリアンやファブリスという主人公の、個人的情熱の可能性を追究することによって、人間いかに生くべきかという一つの典型にまで高め、ベリスム、ソレリアンなどという言葉すら生れたし、ま・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・そしてその涯には一本の巨大な枯木をその巓に持っている、そしてそのためにことさら感情を高めて見える一つの山が聳えていた。日は毎日二つの溪を渡ってその山へ落ちてゆくのだったが、午後早い日は今やっと一つの溪を渡ったばかりで、溪と溪との間に立ってい・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・たが父は順逆の道を誤りたまいて前原が一味に加わり候ものから今だにわれらさえ肩身の狭き心地いたし候この度こそそなたは父にも兄にもかわりて大君の御為国の為勇ましく戦い、命に代えて父の罪を償いわが祖先の名を高め候わんことを返すがえすも頼み上げ候・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・と声を高めて乗掛る。「ま、ま、そう大きな声で……」と自分はまごまご。「大きな声がどうしたの、いくらでも大きな声を出すよ……さア今一度言って御覧ん。事とすべに依ればお光も呼んで立合わすよ」という剣幕。この時二階の笑声もぴたり止んで、下・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・この人格価値を高めることが行為の目的である。快楽、幸福、福利は目的そのものとして追求せられるべきでない。これが人格主義の主張である。カントや、リップス、コーヘン等のカント学派も、フッサール、シェーラー、ハルトマン等の現象学派も人格主義の点で・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・の功利的満足を与えんとはせずに、常に彼らを高め、導き、精神的法悦と文化的向上とに生きる高貴なる人格たらんことをすすめ、かくて理想的共同体を――究竟には聖衆倶会の地上天国を建設せんがために、自己を犠牲にして奔命する者、これこそまことの予言者で・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・後のものは高められた母性愛、道と法とに照らされたる母性愛である。そこに人間の尊貴さがある。愛のために孟子の母はわが子を鞭打ち、源信の母はわが子を出家せしめた。乃木夫人は戦場に、マリアは十字架へとわが子を行かしめたのも、われわれはこれを母性愛・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
出典:青空文庫