・・・これよりして各地に鬱蒼たる樅の林を見るにいたりました。一八六〇年においてはユトランドの山林はわずかに十五万七千エーカーに過ぎませんでしたが、四十七年後の一九〇七年にいたりましては四十七万六千エーカーの多きに達しました。しかしこれなお全州面積・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・かくてすすむほどに山路に入りこみて、鬱蒼たる樹、潺湲たる水のほか人にもあわず、しばらく道に坐して人の来るを待ち、一ノ戸まで何ほどあるやと問うに、十五里ばかりと答う。駭然として夢か覚か狐子に騙せらるるなからむやと思えども、なお勇気を奮いてすす・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ 二人は鬱蒼とした欅の下を択んだ。そこには人も居なかった。「今日は疲れた」 と相川はがっかりしたように腰を掛ける。原は立って眺め入りながら、「相川君、何故、こう世の中が急に変って来たものだろう。この二三年、特に激しい変化が起・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ 野から村に入ったらしい。鬱蒼とした楊の緑がかれの上に靡いた。楊樹にさし入った夕日の光が細かな葉を一葉一葉明らかに見せている。不恰好な低い屋根が地震でもあるかのように動揺しながら過ぎていく。ふと気がつくと、車は止まっていた。かれは首を挙・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ただ向う側の割竹を並べた垣の上に鬱蒼と茂って路地の上に蔽いかぶさっている椎の木らしいものだけが昔のままのように見える。人間よりも家屋よりもこうした樹の方が年を取らぬものと思われる。とにかくこの樹の茂りを見てはじめて三十年前の鶯横町を取返した・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
・・・年を経た樫の樹が車まわしの右側から聖堂の境に茂っていてその鬱蒼とした蔭に、女高師の学生用の弓場があった。弓場のあるあたりは、ブランコなどがある広くない中庭をかこんで女学校の校舎が建てられているところから遠くて、長い昼の休み時間にしか遊びにゆ・・・ 宮本百合子 「女の学校」
・・・植物は互に縺れこんぐらかって悩ましく鬱葱としている。彼の飾帯はその裡で真紅であった。強烈な色彩がいつまでも、遠くから見えた。――ミシシッピイ――〔一九二四年十一月〕 宮本百合子 「翔び去る印象」
・・・ この大部な第一巻だけを見ても、内容の精密さ、遺漏なきを期せられている周到さがはっきりわかるのであるが、同時に、頁毎にくりひろげられるこの偉大な人間及芸術家の生活現象に密林はおそろしいほど鬱蒼としているものだから、そのディテールの中で迷・・・ 宮本百合子 「『トルストーイ伝』」
・・・ 深く、暗く、鬱蒼として茂りに茂っている森は、次第次第に開けるにつれて粗雑にばかりなって来た町に、まったく唯一の尊い太古の遺物であった。 すべてがここでは幸福であった。 たくさんの鳥共も、這いまわる小虫等も、また春から秋にかけて・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫