・・・折り折り人の影がかなたの山の背こなたの山の尾に現われては隠れた、日は麗らかに輝き、風はそよそよと吹き、かしこここの小藪が怪しげにざわついた。その度ごとに僕は目を丸くした。叔父さんは銃を持ち直した。『オイ徳さん』叔父さんはしばらくして言っ・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・或る麗らかな天気の日に、秋の高い青空を眺めながら、遠い昔の夢を思い出した。その夢の記憶の中で、彼は支那人と賭博をしていた。支那人はみんな兵隊だった。どれも辮髪を背中にたれ、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、長い煙管を口にくわえて、悲しそうな顔を・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ 仕事の済んでしまった後の工事場は、麗らかな春の日でも淋しいものだ。それが暗い吹雪の夜は、況して荒涼たる景色であった。 二人の子供は、コムプレッサー、鍛冶場、変電所、見張り、修繕工場、などを見て歩いたが、その親たちは見当らなかった。・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
わかい、気のやさしい春は庭園に美しい着物を着せ ――明るい時―― 林町の家の、古風な縁側にぱっと麗らかな春の白い光が漲り、部屋の障子は開け放たれている。室内の高い長押にちらちらする日影。時計・・・ 宮本百合子 「雲母片」
・・・春の麗らかな日、眼を放てば、私共は先ず、一々に異う木の芽の姿、一々に違う家々の眺めに、興味深く心を牽かれずにはいられないのである。 けれども、今私は、葉脈の太くなり落葉し始めた同じ桐の梢を仰ぎ、何を第一に感じるだろう。 空気だ。遮ぎ・・・ 宮本百合子 「透き徹る秋」
・・・朝子の方は所謂醜女の深なさけで、男が、女と思わず手にさわり喋りするのを、自分が卓越して居る為とか、愛されて居る為とか思って幸福に人生を麗らかにして居るところ痛ましきかぎり。又良人が自由にさせたい通りさせて置くのを、一層深き理解と愛の為と思い・・・ 宮本百合子 「一九二三年冬」
・・・もう一寸、麗らかな太陽の下で情感ある蔭を重ねている矮樹を縫って更に奥へと進んで見る。――私は不意に自分を囲んだあの静けさ、諧調ある自然の沈黙に打れ感動した心持を今だに忘られない。私は、その時ひとりでに六尺ばかりに延びた馬酔木がこんもり左右に・・・ 宮本百合子 「宝に食われる」
・・・ 其から半年程経って、又同じ芝生の上に飛んで来た小鳥は、腐った太鼓を貫いて、一本の青々とした粟の芽が、明るい麗らかな日光に輝きながら楽げに戦いでいるのを見た。 ○ 魂がおしゃれを止める事は、一刻も早い方が・・・ 宮本百合子 「一粒の粟」
・・・ そのときは桁の上に登っていた男まで降りて来て囲りにたかり見ていた。「どうだいこれは。――よりつけやしない――二三分でいいんだ、これを巻くまで手をかしてくれ」 麗らかな日光にキラキラ光る白木綿を見ると、幸雄は一層猛り立った。・・・ 宮本百合子 「牡丹」
出典:青空文庫