・・・みんなもう、見事なくらい、平然と私を黙殺しています。女の子から黙殺されるのは、私も幼少の頃から馴れていますので、かくべつ驚きもしませんが、でもこの黙殺の仕方は、少しも高慢の影は無く、ひとりひとり違った心の表情も認められず、一様にうつむいてせ・・・ 太宰治 「東京だより」
・・・これまた笑止千万の事にて、美々しき服装、われに於いて何のうらやましき事も無之、全く黙殺し去らんと心掛申候えども、この人物は身のたけ六尺、顔面は赤銅色に輝き腕の太さは松の大木の如く、近所の質屋の猛犬を蹴殺したとかの噂も仄聞致し居り、甚だ薄気味・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・く、どろぼうに絡みついているわけは、どろぼうは、何も言わず、のこのこ机の傍にやって来て、ひき出しをあけて、中をかき廻し、私の精一ぱいのいやがらせをも、てんで相手にせず、私は、そのどろぼうの牛豚のような黙殺の非礼の態度が、どうにも、いまいまし・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・祖父の批評は、割合い正確なところもあったようだが、口調が甚だ、だらしなかったので、誰にも支持されず黙殺されてしまった。祖父は急にしょげた。その様子を見かねて母は、祖父に、れいの勲章を、そっと手渡した。去年の大晦日に、母は祖父の秘密のわずかな・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・客観的と云うとき、自分の好ききらいを、自分の心から黙殺してかかるのではなくて、好ききらいははっきり掴んでいる上に自分のこの好きさ、このきらいさ、それは自分のどんな感情のありようとこの映画の俳優の演技のどんな性質とが或は引き合い、或は撥き合う・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・ 同志藤森も林も、自身の文学的活動に現れた右翼的危険、逸脱については頑固に黙殺し、中條に対する、「非難の嵐」だけを吹き立てるのは何を意味するのであろうか。 私はこれら同志の態度は、常に主要な当面課題を回避する右翼日和見主義の危険を十・・・ 宮本百合子 「前進のために」
・・・ 村松章子さんの「黙殺された女達」、高橋春子さんの「コスモスの花にゆれる秋」、矢倉ふき代さんの「夫は星をほしがらなかった」の三つの文章にあふれている苦痛と、理性、勇気などは、その人々にそうと自覚されている程度は浅いにしろ、何と、この世界・・・ 宮本百合子 「「未亡人の手記」選後評」
・・・一行の批評も受けず、黙殺される。本田華子と結婚。 一九二〇年。『人間』正月号に「生命の冠」を発表。二月明治座に上演。翌月更に大阪浪花座に於て続演。はじめて戯曲家としての存在を認めらる。「津村教授」と二つ合せて戯曲集「生命の冠」を新潮社よ・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・麓の活躍した心臓を圧迫するか、頂の死に逝く肺臓を黙殺するか、この二つの背反に波打って村は二派に分れていた。既に決定せられたがように、譬えこの頂きに療院が許されたとしても、それは同時に尽くの麓の心臓が恐怖を忘れた故ではなかった。 間もなく・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫