・・・満蔵はひとりでうたい飽きて、「おはまさアうたえよ。おとよさアなで今日はうたわねいか」 だれもうたわない。サッサッと鎌の切れる音ばかり耳に立ってあまり話するものもない。清さんはお袋と小声でぺちゃくちゃ話している。満蔵はあくびをしながら・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ おかみさんは、どうしたのか、あわてて僕を呼び止め、いつもと違った下座敷へ案内して、「しばらくお待ちなさって――二階がすぐ明きますから」「お客さんか、ね」と、僕は何気なくそこへ落ちついた。 かみさんが出て行った跡で、ふと気が・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・が、自分のような鈍感者では到底味う事の出来ない文章上の微妙な説を聞いて大いに発明した事もしばしばあったし、洗練推敲肉痩せるまでも反覆塗竄何十遍するも決して飽きなかった大苦辛を見て衷心嘆服せずにはいられなかった。歿後遺文を整理して偶然初度の原・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・毎日同じようなことをして、朝になるとはね起きて、働き、食い、そして日が暮れると眠ることにも飽きてしまいました。 みんなは、仲よく暮らすことを希望していましたけれど、どうしても、このことばかりはできなかったというのは、ある人がたくさん金が・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・天使は田舎の生活に飽きてしまいました。しかし、どうすることもできませんでした。ちょうど、この店にきてから、一年めになった、ある日のことでありました。 菓子屋の店頭に、一人のおばあさんが立っていました。「なにか、孫に送ってやりたいのだ・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・そして、もう、空き箱などに用事がなかったからであります。こうして、泥濘の中に捨てられた天使は、やがて、その上を重い荷車の轍で轢かれるのでした。 天使でありますから、たとえ破られても、焼かれても、また轢かれても、血の出るわけではなし、また・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・良吉のほかにも、日ごとにここで休んで、いった人があったとみえて、タバコの空き箱や、破れた麦わら帽子などが、捨ててありました。なんの気なしに、ガードの壁を見ると、白いチョークで、落書きがしてあったので、それを見るうちに、子供らしい字で書かれた・・・ 小川未明 「隣村の子」
・・・ 私は乳母に手を引かれて、あっちこっちと見て歩く内に、ふと社の裏手の明き地に大勢人が集まっているのを見つけました。 側へ寄って見ると、そこには小屋掛もしなければ、日除もしてないで、唯野天の平地に親子らしいお爺さんと男の子が立っていて・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・浜子は私めずらしさにももうそろそろ飽きてきた時だったのでしょう。夜、父が寄席へ出かけた留守中、浜子は新次からお午や榎の夜店見物をせがまれると、留守番がないからと言ってちらりと私の顔を見る。そんな時、わい夜店は眠うなるさかい嫌やと、心にもない・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・フランスのように多くの古典を伝統として持っている国ですら、つねに古典への反逆が行われ、老大家のオルソドックスに飽き足らぬアヴァンギャルド運動から二百一人目の新人が飛び出すのではあるまいか。ジュリアン・バンダがフランス本国から近著した雑誌で、・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫