・・・いくらかの珍しき語を用いたるほかに何の珍しきこともあらぬなり。次に井上文雄の『調鶴集』を見てまた失望す。これも物語などにありて普通の歌に用いざる語を用いたるほかに何の珍しきこともあらぬなり。最後に橘曙覧の『志濃夫廼舎歌集』を見て始めてその尋・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・「先生、岩に何かの足痕あらんす。」 私はすぐ壺穴の小さいのだろうと思いました。第三紀の泥岩で、どうせ昔の沼の岸ですから、何か哺乳類の足痕のあることもいかにもありそうなことだけれども、教室でだって手獣の足痕の図まで黒板に書いたのだし、・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・ ふき子は、びっくりしたように、「あら本気なの、陽ちゃん」といった。「本気になりそうだわ――ある? そんな家……もし本当にさがせば」「そりゃあってよ、どこだって貸すわ、でも――もし来るんならそんなことしないだって、家へい・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・横田いよいよ嘲笑いて、お手前とてもその通り道に悖りたる事はせぬと申さるるにあらずや、これが武具などならば、大金に代うとも惜しからじ、香木に不相応なる価をいださんとせらるるは若輩の心得ちがいなりと申候。某申候は、武具と香木との相違は某若輩なが・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・貴夫人。ええ。それがようございます、雨が降っていますから。男。そこで今日は、あなたを尊敬いたして、一頭曳にいたしますよ。貴夫人。あら。それは余計な御会釈でございますわ。やっぱり二頭曳を雇って来て戴きましょう。そういたすとわたくし・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・和主もこれから見参して毎度手柄をあらわしなされよ」「これからはまた新田の力で宮方も勢いを増すでおじゃろ。楠や北畠が絶えたは惜しいが、また二方が世に秀れておじゃるから……」「嬉しいぞや。早う高氏づらの首を斬りかけて世を元弘の昔に復した・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・即ち形式的仮象から受け得た内的直感の感性的認識表徴で、官能的表徴は少くとも純粋客観からのみ触発された経験的外的直感のより端的な認識表徴であらねばならぬ。従って官能的表徴は外的直感が客観に対する関係に於て、より感性的に感覚的表徴より先行し直接・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・たとえば、蓮華草この辺にもとさがし来て犀川岸の下田に降りつげんげん田もとめて行けば幾筋も引く水ありて流に映るおほどかに日のてりかげるげんげん田花をつむにもあらず女児らさきだつは姉か蓮華の田に降りてか行きかく行く十歳下三人・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
出典:青空文庫