・・・ 昔から、粗食が長寿の一法だとの説がある。これは考えてみると我がM君の説を裏側から云ったもののように思われて来る。一体普通の道理から云うと年をとればうまいものを喰って栄養をよくした方がよさそうに思われるが、うまいものはついつい喰い過ぎる・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・そうして読んでいけないと思う種類の書物を山積して毎日の日課として何十ページずつか読むように命令するのも一法であるかもしれない。 楠さんも、この不良と目された不幸な青年も夭死してとくの昔になくなったが、自分の思い出の中には二人の使徒のよう・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・ その翌日が愈々此処で葬礼と云うことなんで、その時隊の方から見送って下さったのが三本筋に二本筋、少尉が二タ方に下副官がお一方……この下副官の方は初瀬源太郎と仰也って、晴二郎を河から引揚げて下すった方なんでござえして、何かの因縁だろうから・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・「一方に靡きそろひて花すゝき、風吹く時そ乱れざりける」で、事ある時などに国民の足並の綺麗に揃うのは、まことに余所目立派なものであろう。しかしながら当局者はよく記臆せなければならぬ、強制的の一致は自由を殺す、自由を殺すはすなわち生命を殺すので・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・高坂はやはり印刷工組合の幹部で、自分で印刷工場も経営している。一方では憲政会熊本支部にもひそかに出入している男であるが、小野、津田、三吉の労働幹部のトリオがしっかりしているうちは、まだいうことをきいていた。「きみィ、応援するのやろ?」・・・ 徳永直 「白い道」
・・・三面ハ渾テ本郷駒籠谷中ノ阻台ヲ負ヒ、南ノ一方劣ニ蓮池ヲ抱ク。尤モ僻陬ノ一小廓ナリ。莫約根津ト称スル地藩ハ東西二丁ニ充タズ、南北険ド三丁余。之ヲ七箇町ニ分割ス。則曰ク七軒町、曰ク宮永町、曰ク片町等ハ倶ニ皆廓外ニシテ旧来ノ商坊ナリ。曰ク藍染町、・・・ 永井荷風 「上野」
・・・社会の制裁が弛んだというかも知れませんが一方からいいましたならば、事実にそういう欠点のあり得る事を二元的に認めて、これに寛容的の態度を示したのであります。畢竟無理がなくなり、概念の束縛がなくなり、事実が現われたのであります。昔スパルタの教育・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・御望の方は○○筆墨店へ御一報を乞う」。まずここへでも一つあたってみようと云う気になったから直ぐ手紙を書いて、宿料その他委細の事を報知して貰いたい、小生の身分はかくかく職業はかくかく、なるべく低廉でなるべく愉快な処に住みたいと勝手な事をかいて・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・対象的に知ることのできない自己は、最も能く自己に知れたものでなければならない。一方に我々は自己が自己自身を知ると考える、かかる意味において知るとは、如何なることを意味するのであるか。かかる意味において知るということが、先ず問題とせられなけれ・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・あの小さな狡猾さうな眼をした、梟のやうな哲学者ショーペンハウエルは、彼の暗い洞窟の中から人生を隙見して、無限の退屈な欠伸をしながら、厭がらせの皮肉ばかりを言ひ続けた。一方であの荒鷲のやうなニイチェは、もつと勇敢に正面から突撃して行き、彼の師・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
出典:青空文庫