・・・蹄鉄のひゞきと、滑桁の軋音の間から英語のアクセントかゝったロシア語が栗本の耳にきた。「止まれッ!」 ロシアの娘を連れ出したメリケン兵が酒場から帰って来る時分だ。「止まれッ!」 馭者のチョッ/\という舌打ちがして、橇は速力をゆ・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ 英語の記号と、番号のはいった四角の杭が次々に、麦畑の中へ打たれて行った。 麦を踏み折られて、ぶつ/\小言を云わずにいられなかったのは小作人だ。 親爺は、麦が踏み折られたことを喜んだ。 地主も、自作農も、麦が踏まれたことは、・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・先生がまだ男のさかりの頃、東京の私立学校で英語の教師をした時分、教えた生徒の一人が高瀬だった。その後、先生が高輪の教会の牧師をして、かたわらある女学校へ教えに行った時分、誰か桜井の家名を継がせるものをと思って――その頃は先生も頼りにする子が・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・だけども、さ、I can speak English. Can you speak English? Yes, I can. いいなあ、英語って奴は。姉さん、はっきり言って呉れ、おらあ、いい子だな、な、いい子だろう? おふくろなんて、なんに・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・印刷所の手落ちでは無く、兄がちゃんと UMEKAWA と指定してやったものらしく、uという字を、英語読みにユウと読んでしまうことは、誰でも犯し易い間違いであります。家中、いよいよ大笑いになって、それからは私の家では、梅川先生だの、忠兵衛先生・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・五 この男の勤めている雑誌社は、神田の錦町で、青年社という、正則英語学校のすぐ次の通りで、街道に面したガラス戸の前には、新刊の書籍の看板が五つ六つも並べられてあって、戸を開けて中に入ると、雑誌書籍のらちもなく取り散らされた室・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・という言葉をもって代用してもたいしてさしつかえないという事はプドーフキンの著書の英訳にエディチングという英語を当ててあることからも想像されるであろう。またこの著者がそのモンタージュを論じた一章の表題に「素材の取り扱い方」という平凡な文字を使・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・それはまずいいとしても、明治十年ごろに姉が東京の桜井学校で教わった英語の唱歌と称するものを合唱したりしたのは実に妙であった。その文句は今でも覚えているがその意味に至っては今にわからない。思い出しても冷や汗が流れる。しかしとにかくこんな西洋く・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・「どうして日本に戻ってきたの?」「日本語を勉強するためにさ」「ヘェ、じゃハワイでは何語を教わっていたんだい」「英語さ」 私はますますおどろいた。「じゃ、英語よめるんだネ」「ああ、話すことだってできるよ」 私は・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 東京の家からは英語の教科書に使われていたラムの『沙翁物語』、アービングの『スケッチブック』とを送り届けてくれたので、折々字引と首引をしたこともないではなかった。 わたくしは今日の中学校では英語を教えるのに如何なる書物を用いているか・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
出典:青空文庫