・・・あの物盗りが仕返ししにでも来たものか、さもなければ、検非違使の追手がかかりでもしたものか、――そう思うともう、おちおち、粥を啜っても居られませぬ。」「成程。」「そこで、戸の隙間から、そっと外を覗いて見ると、見物の男女の中を、放免が五・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・まるで追手でもかかりそうな風じゃないか。」と、わざと調戯うように声をかけますと、お敏は急に顔を赤らめて、「まあ私、折角いらしって下すった御礼も申し上げないで――ほんとうによく御出で下さいました。」と、それでも不安らしく答えるのです。そこで新・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・、その晩、斎木の御新造が家を抜出し、町内を彷徨って、疲れ果てた身体を、社の鳥居の柱に、黒髪を颯と乱した衣は鱗の、膚の雪の、電光に真蒼なのが、滝をなす雨に打たれつつ、怪しき魚のように身震して跳ねたのを、追手が見つけて、医師のその家へかつぎ込ん・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・画家 夫人 私には厳しく追手が掛っております。見附かりますと、いまにも捉えられなければなりませんものですから。――途中でお姿をお見上げ申し、お宿まで慕って参って、急の思いつきで、失礼な事をいたしました。一生懸命なのです。そしてちょっ・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・詰将棋の名人は、詰手を考える時、まず第一の王手から考えるようなことはしない。盤のどのあたりで王が詰まるかと考える。考えるというよりも、最後の詰み上った時の図型がまず直感的に泛び、そこから元へ戻って行くのである。そして最初の王手を考えるのだが・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・合駒を持たぬ相手にピンピンと王手王手を掛けるようなこともした。いたわる積りがかえってその人の弱みをさらけ出した結果ともなってしまったのだ。その人は字は読めぬ人だ、よしんば読めても文芸雑誌など手にすることもあるまいなどというのは慰めにも弁解に・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・もっと知りたいという好奇心の強さと、父親の鼻を明かしてやりたいと言う気持に押し出されて、そんな駈落をする気になったのだが、しかし三日たって追手につかまり、新銀町の家へ連れ戻された時はもう荒木への未練はなかった。それほど荒木はつまらぬ男だった・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・この行風雅のためにもあらざれば吟哦に首をひねる事もなく、追手を避けて逃ぐるにもあらざれば駛急と足をひきずるのくるしみもなし。さればまことに弥次郎兵衛の一本立の旅行にて、二本の足をうごかし、三本たらぬ智恵の毛を見聞を広くなすことの功徳にて補わ・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ 船は追手の風で浪の上をすらすらと走って、間もなく大きな大海の真中へ出ました。 そうすると、さっきのむく犬が、用意してある百樽のうじ虫をみんな魚におやりなさいと言いました。ウイリイはすぐに樽をあけて、うじ虫をすっかり海へ投げこみまし・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・普通の小説というものが、将棋だとするならば、あいつの書くものなどは、詰将棋である。王手、王手で、そうして詰むにきまっている将棋である。旦那芸の典型である。勝つか負けるかのおののきなどは、微塵もない。そうして、そののっぺら棒がご自慢らしいのだ・・・ 太宰治 「如是我聞」
出典:青空文庫