・・・下町は昨日の祭礼の名残で賑やかな追手筋を小さい花台をかいた子供連がねって行く。西洋の婦人が向うから来てこれとすれちがった。牧牛会社の前までくると日が入りかかって、川端の榎の霜枯れの色が実に美しい。高阪橋を越す時東を見ると、女学生が大勢立って・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・もし駕籠かきの悪者に出逢ったら、庚申塚の藪かげに思うさま弄ばれた揚句、生命あらばまた遠国へ売り飛ばされるにきまっている。追手に捕まって元の曲輪へ送り戻されれば、煙管の折檻に、またしても毎夜の憂きつとめ。死ぬといい消えるというが、この世の中に・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・だから美の標準のみを固執して真の理想を評隲するのは疝気筋の飛車取り王手のようなものであります。朝起を標準として人の食慾を批判するようなものでしょう。御前は朝寝坊だ、朝寝坊だからむやみに食うのだと判断されては誰も心服するものはない。枡を持ち出・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫