・・・若い時分、盛んにいわゆる少女小説を書いて、一時はずいぶん青年を魅せしめたものだが、観察も思想もないあくがれ小説がそういつまで人に飽きられずにいることができよう。ついにはこの男と少女ということが文壇の笑い草の種となって、書く小説も文章も皆笑い・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・法を用いてそのまゝに謄写しとりて草紙となしたるを見侍るに通篇俚言俗語の語のみを用いてさまで華あるものとも覚えぬものから句ごとに文ごとにうたゝ活動する趣ありて宛然まのあたり萩原某に面合わするが如く阿露の乙女に逢見る心地す相川それの粗忽しき義僕・・・ 著:坪内逍遥 校訂:鈴木行三 「怪談牡丹灯籠」
・・・ 鴨羽の雌雄夫婦はおしどり式にいつも互いに一メートル以内ぐらいの間隔を保って遊弋している。一方ではまた白の母鳥と十羽のひなとが別の一群を形づくって移動している。そうしてこの二群の間には常に若干の「尊敬の間隔」が厳守せられているかのように・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・これらの絵全体から受ける感じは、丁度近頃の少年少女向けの絵雑誌から受けると全く同じようなものである。帝展の人気のある所因は事によるとここにあるかもしれないが、私にはどうも工合が悪く気持が悪い。名高い画家達のものを見ても、どうも私には面白味が・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・そして若い時から兄夫婦に育てられていた義姉の姪に桂三郎という養子を迎えたからという断わりのあったときにも、私は別に何らの不満を感じなかった。義姉自身の意志が多くそれに働いていたということは、多少不快に思われないことはないにしても、義姉自身の・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・ 三吉があがらぬので、しぜん夫婦もうしろへきてすわっている。「――うちは百姓だけど、兄さんが大工さんだって。もうシゲちゃんもそろそろ、ねェ」 三吉はくらくなってきた足もとをみていた。彼女は紙巻工であった深水の嫁さんの同僚で、深水・・・ 徳永直 「白い道」
・・・手児奈という村の乙女の伝説から今もってその名は人から忘れられていない。 市川の町に来てから折々の散歩に、わたくしは図らず江戸川の水が国府台の麓の水門から導かれて、深く町中に流込んでいるのを見た。それ以来、この流のいずこを過ぎて、いずこに・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ところどころに泥水のたまった養魚池らしいものが見え、その岸に沿うた畦道に、夫婦らしい男と女とが糸車を廻して綱をよっている。その響が虻のうなるように際立って耳につくばかり、あたりは寂として枯蘆のそよぐ音も聞えないのは、日も漸く傾いて、ひとしき・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・手堅にすれば楽な身上であった。夫婦は老いて子がなかった。彼はそこへ行ってから間もなく娵をとった。其家の財産は太十の縁談を容易に成就させたのであった。二 太十が四十二の秋である。彼は遠い村の姻戚へ「マチ呼バレ」といって招かれて・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・夫人がこの家を撰んだのは大に気に入ったものかほかに相当なのがなくてやむをえなんだのか、いずれにもせよこの煙突のごとく四角な家は年に三百五十円の家賃をもってこの新世帯の夫婦を迎えたのである。カーライルはこのクロムウェルのごときフレデリック大王・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫