・・・太郎はあるデパートメントストアーへ出ているという夫婦暮らしの家へ、次郎は少し遠方のあるおやしきへ、赤はひとり住みの御隠居さんの所へ、最後におさるは近い電車通りの氷屋へそれぞれ片付いて行った。私は記念にと思ってその前に四匹の寝ている姿を油絵の・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・「なにさ、おやおや――」 玄関の格子戸がけたたましくあいて、奥さんらしい女の人がいそいで出てきた。「まあ、大変なことをしてくれたネ。こんにゃく屋さん、これはうちの旦那さまが丹精していらッしゃるお菜園だよ、ホンとにまァ」 奥さ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・と癇癪声を張り上げるが口喧嘩にならぬ先に窓下を通る蜜豆屋の呼び声に紛らされて、一人が立って慌ただしく呼止める、一人が柱にもたれて爪弾の三味線に他の一人を呼びかけて、「おやどうするんだっけ。二から這入るんだッけね。」と訊く。 坐るかと思う・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・毎晩犬が吠えておやかましいでしょう。どう云うものか賊がこの辺ばかり徘徊しますんで」「どうも御苦労様」と景気よく答えたのは遠吠が泥棒のためであるとも解釈が出来るからである。巡査は帰る。余は夜が明け次第四谷に行くつもりで、六時が鳴るまでまん・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・はてな、俺のバスケットをどこへ持って行きやがったんだろう。おや、踏んづけてやがら、畜生! 叶わねえなあ、こんな手合にかかっちゃ。だが、この野郎白っぱくれて、網を張ってやがるんじゃねえかな。バスケットの中味を覗いたのたあ違うかい? 冗談じゃあ・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・「小万さん、お前も酔ッておやりよ。私ゃ管でも巻かないじゃアやるせがないよ。ねえ兄さん」と、吉里は平田をじろりと見て、西宮の手をしかと握り、「ねえ、このくらいなことは勘忍して下さるでしょう」「さア事だ。一人でさえ持て余しそうだのに、二・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・「おや。なんだ。爺いさん。そいつあいけねえぜ。」一本腕が、口に一ぱい物を頬張りながら云った。 一言の返事もせずに、地びたから身を起したのは、痩せ衰えた爺いさんである。白い鬚がよごれている。頭巾の附いた、鼠色の外套の長いのをはおってい・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・「おやお珍らしゅう、もうそんなにすっかりお宜しゅう御座いますので、まアお上りなさいませ。お目出とう御座います。旧年中は……相変りませず。」「お留守ですか。」「ハイ唯今河東さんがお出になって一緒に出て行きました。」「マーチャンお目出とう。・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・「うるさいなあ、どれだい、おや!」「昨日はあんなものなかったよ」「おい、大変だ。おい。おまえたちはこどもだけれども、こういうときには立派にみんなのお役にたつだろうなあ。いいか。おまえはね、この森をはいって行ってアルキル中佐どのに・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・の境地においておやである。中産階級の急速な貧困化、それにともなって起っている深刻な失業、インテリゲンツィアの経済的、精神的苦悩は、実際にあたって、恋愛や結婚問題解決の根蔕をその時代的な黒い爪でつかんでいるのである。この事実を痛切に自覚しない・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
出典:青空文庫