・・・しかも、全銭を賭ける遊戯である。滑稽にもそれからのち、さらにさらに生きながらえ、三度目の短篇集を出すことがあるならば、私はそれに、「審判」と名づけなければいけないようだ。すべての遊戯にインポテンスになった私には、全く生気を欠いた自叙伝をぼそ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ フランス文学では、十九世紀だったらばたいてい皆、バルザック、フローベル、そういう所謂大文豪に心服していなければ、なにか文人たるものの資格に欠けるというような、へんな常識があるようですけれども、私はそんな大文豪の作品は、本当はあまり読ん・・・ 太宰治 「わが半生を語る」
・・・ 代々木の停留場に上る階段のところで、それでも追い越して、衣ずれの音、白粉の香いに胸を躍らしたが、今度は振り返りもせず、大足に、しかも駆けるようにして、階段を上った。 停留場の駅長が赤い回数切符を切って返した。この駅長もその他の駅夫・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ 代々木の停留場に上る階段のところで、それでも追い越して、衣ずれの音、白粉の香いに胸を躍らしたが、今度は振り返りもせず、大足に、しかも駆けるようにして、階段を上った。 停留場の駅長が赤い回数切符を切って返した。この駅長もその他の駅夫・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・誰やらあとから追い掛ける。大きな帽子を被った潜水夫がおれの膝に腰を掛ける。 もうパリイへ行こうと思うことなんぞはおれの頭に無い。差し当りこの包みをどうにか処分しなくてはならない。どうか大地震でもあってくれればいいと思う。何もベルリンだっ・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・では比較的むだな饒舌が少ないようであるが、ひとり旅に出た子供のあとを追い駆ける男が、途中で子供の歩幅とおとなのそれとの比較をして、その目の子勘定の結果から自分の行き過ぎに気がついて引き返すという場面がある。「子供の足でこれだけ、おとなの足で・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・では比較的むだな饒舌が少ないようであるが、ひとり旅に出た子供のあとを追い駆ける男が、途中で子供の歩幅とおとなのそれとの比較をして、その目の子勘定の結果から自分の行き過ぎに気がついて引き返すという場面がある。「子供の足でこれだけ、おとなの足で・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・表の通りでは砂利をかんで勢いよく駈ける人車の矢声も聞える。晴れきった空からは、かすかな、そして長閑な世間のどよめきが聞えて来る。それを自分だけが陰気な穴の中で聞いているような気がする。何処か遊びに行ってみたい。行かれぬのでなおそう思う。田端・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・出歩く道がわかればわなを掛けるといいそうであるがその道がなかなかわからないと言う。それはとにかく、こんなはげ山の頂にうさぎが何を求めて歩いているのか、また蜘蛛や甲虫や蝶などといかなる「社会」を作っているのか愚かな人間には想像がつかないのであ・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・しかしそれで枯れ枝などを切ると刃が欠けるという主人の言葉はほんとうらしかった。 私はなんだか試験をされているような気がした。主人は団扇と楊枝とを使いながら往来をながめていた。子供は退屈そうに時々私の顔を見上げていた。 とうとう柄の長・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
出典:青空文庫