お手紙によりますと、あなたはK君の溺死について、それが過失だったろうか、自殺だったろうか、自殺ならば、それが何に原因しているのだろう、あるいは不治の病をはかなんで死んだのではなかろうかと様さまに思い悩んでいられるようであり・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・ 過失などをしたとき母からよくそう言われた。その言葉が思いがけず自分の今為たことのなかにあると思った。石鹸は自分にとって途方もなく高価い石鹸であった。自分は母のことを思った。「奎吉……奎吉!」自分は自分の名を呼んで見た。悲しい顔付を・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・ 上等看護長は、大勢の兵卒に取りかこまれた二人の前に立って、自分に過失はなかったものゝように、そう云った。 彼は、他の三年兵と一緒に帰らしておきさえすればこんなことになりはしなかったのだ、とは考えなかった! 彼は、二個の兵器、二・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・いつぞやお鍋が伊万里の刺身皿の箱を落して、十人前ちゃんと揃っていたものを、毀したり傷物にしたり一ツも満足の物の無いようにしました時、傍で見ていらしって、過失だから仕方がないわ、と笑って済ましておしまいなすったではありませんか。あの皿は古びも・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・併し如何に素人でも夜中に船を浮べているようなものは、多少自分から頼むところがあるものが多いので、大した過失もなくて済み勝である。 人によると、隅田川も夜は淋しいだろうと云うが決してそうでない。陸の八百八街は夜中過ぎればそれこそ大層淋しい・・・ 幸田露伴 「夜の隅田川」
・・・そうしてそれをさほどの過失ではないと思っていた。左官屋には、それがむらむらうらめしかったのである。細君はその場でいきをひきとり、左官屋は牢へ行き、左官屋の十歳ほどの息子が、このあいだ駅の売店のまえで新聞を買って読んでいた。僕はその姿を見た。・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・故意に飛び込んだのではなくて、まったくの過失からであった。植物の採集をしにこの滝へ来た色の白い都の学生である。このあたりには珍らしい羊歯類が多くて、そんな採集家がしばしば訪れるのだ。 滝壺は三方が高い絶壁で、西側の一面だけが狭くひらいて・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・映写技師が罪に問われました。過失傷害致死とかいう罪名でした。子供にも、どういうわけだか、その技師の罪名と運命を忘れる事が出来ませんでした。旭座という名前が「火」の字に関係があるから焼けたのだという噂も聞きました。二十年も前の事です。 七・・・ 太宰治 「五所川原」
・・・豚に真珠、豚に真珠、未来永劫、ほう、真珠だったのか、おれは嘲って、恥かしい、など素直にわが過失みとめての謝罪どころか、おれは先から知っていたねえ、このひと、ただの書生さんじゃないと見込んで、去年の夏、おれの畑のとうもろこし、七本ばっか呉れて・・・ 太宰治 「創生記」
・・・人間に免れぬ過失自身を責める代わりに、その過失を正当に償わないことをとがめるようであれば、こんな弊の起こる心配はないはずであろうと思われるのである。 たとえばある工学者がある構造物を設計したのがその設計に若干の欠陥があってそれが倒壊し、・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
出典:青空文庫