・・・秋「赤い貨車」をモスクワから送った。この夏、八月一日、故国で次弟英男が自殺した。彼が姉にあてて書いたまま出さなかった最後の手紙に、何ものをも憎むなという文句があった。彼の予期しなかった死=没落と日夜目撃してその中に生きるソヴェトの燃・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ジョア・インテリゲンツィア作家は、一年来声を大きくして来た文芸復興を内容づけるためのリアリズム検討につれ、プロレタリア作家の或る者は、社会主義的リアリズムに対する或る種の解釈の模型として、バルザックの花車は、急調子に、同時に些か粗忽に、様々・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ 人道主義的なセンチメンタリズムを蹴たおして、仮借なく現実を踏み越えて生きようとする気組も、作品として十分の落付いた肉づけ、客観的な描破力を伴わないと、結果としては案外に単純な神経性ヒロイズムやスリルの追求に堕す危険をもつのである。・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・雨音を立てている前の家のトタン葺の屋根のはずれと、そのとなりの家の、燃火のけむりが低く雨の中に流れ出している土壁との間にある空地ごしに扇形にひらいた引込線に、石炭をつんだ無蓋貨車が何輌もつながったまま雨に打たれている。○がここへ着いた日に、・・・ 宮本百合子 「無題(十二)」
・・・又、親子の愛というものの固定的な宗教的でさえある評価の観念に対して、ストリンドベリーのように現実の錯雑を個人の生活経験の範囲で能うかぎりの仮借なさでむいて示した作家もある。 これらの人道主義的な個人主義的なヒューマニティの理解の時代は、・・・ 宮本百合子 「夜叉のなげき」
・・・「何事にたいしても仮借しないむきな純一しか持ち合わせていない」と力をこめていい切って、しかも「娘の夢」といわれているもののロマンティックな扮装については自分の内の矛盾として見きわめようとしていない態度を、今日の青年もやはり彼らの夢を育ててく・・・ 宮本百合子 「若い婦人の著書二つ」
・・・軍隊の輸送、避難民の特別列車の為め、私共の汽車は順ぐりあと廻しにされる。貨車、郵便車、屋根の上から機関車にまでとりついた避難民の様子は、見る者に真心からの同情を感じさせた。同時に、彼等が、平常思い切って出来ないことでも平気でやるほど女まで大・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
・・・お前の明るいお下の頭が、あの梯子を登った暗い穴の所へ、ひょっこり花車のように現われるのさ。すると、俺は、すっかり憂鬱がなくなっちゃって、はしゃぎ廻ったもんだ。とにかく、あの頃は、俺も貧乏していたが、一番愉快だった。あれからは、俺もお前も、若・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・しかし不正なるもの不純なるものに対しては毫も仮借する所がなかった。その意味で先生の愛には「私」がなかった。私はここに先生の人格の重心があるのではないかと思う。 正義に対する情熱、愛より「私」を去ろうとする努力、――これをほかにして先生の・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
・・・足を使っていた少年の彼を師匠は仮借するところなく叱責した。種々に苦心してもなかなか師匠は叱責の手をゆるめない。ある日彼はついに苦心の結果一つのやり方を考案し、それでもなお師匠が彼を叱責するようであれば、思い切り師匠を撲り飛ばして逃亡しようと・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫