・・・或は上士と下士との軋轢あらざれば、士族と平民との間に敵意ありて、いかなる旧藩地にても、士民共に利害栄辱を與にして、公共のためを謀る者あるを聞かず。故に世上有志の士君子が、その郷里の事態を憂てこれが処置を工夫するときに当り、この小冊子もまた、・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ また日本にては、貧家の子が菓子屋に奉公したる初には、甘をなめて自から禁ずるを知らず、ただこれを随意に任してその飽くを待つの外に術なしという。また東京にて花柳に戯れ遊冶にふけり、放蕩無頼の極に達する者は、古来東京に生れたる者に少なくして・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・神代の水も華氏の寒暖計二百十二度の熱に逢うて沸騰し、明治年間の水もまた、これに同じ。西洋の蒸気も東洋の蒸気も、その膨脹の力は異ならず。亜米利加の人がモルヒネを多量に服して死すれば、日本人もまた、これを服して死すべし。これを物理の原則といい、・・・ 福沢諭吉 「物理学の要用」
・・・そして遂には何か買うてくれとねだりはじめて、とうとうねだりおおせてその辺の菓子屋へはいるという事でありたかった。車ははや山へ上りかけた。左には瓦斯の火で「鳥又」という字が出て居る。松源の奥には鼓がぽんぽんと鳴って居る。何となくここを見捨てる・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・ご自分の袖で童子の頭をつつむようにして、馬市を通りすぎてから河岸の青い草の上に童子を座らせて杏の実を出しておやりになりながら、しずかにおたずねなさいました。(お前はさっきどうして泣(だってお父さん。みんなが仔馬をむりに連(馬は仕・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・バナナのエボレットを飾り菓子の勲章を胸に満せり。バナナン大将「つかれたつかれたすっかりつかれた脚はまるっきり 二本のステッキいったいすこぅし飲み過ぎたのだし馬肉もあんまり食いすぎた。」(叫「何・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・何とも云えずさびしい気がしてぼんやりそっちを見ていましたら向うの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕を組んだように赤い腕木をつらねて立っていました。「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見まし・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・私は百二十年前にこの方に九円だけ貸しがあるので今はもう五千何円になっている。わしはこの方のあとをつけて歩いて毎日、日プで三十円ずつとる商売なんだ。」と云いながら自分の前のまっ赤なハイカラなばけものを指さしました。 するとその赤色のハイカ・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・「――部屋貸しをするところあるかしらこの近所に」 ふき子は、びっくりしたように、「あら本気なの、陽ちゃん」といった。「本気になりそうだわ――ある? そんな家……もし本当にさがせば」「そりゃあってよ、どこだって貸すわ、・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 麦粉菓子を呉れる者があった。「寒さに向って、体気をつけなんしょよ」と或る者は真綿をくれた。元村長をした人の後家のところでは一晩泊って、綿入れの着物と毛糸で編んだ頭巾とを貰った。古びた信玄袋を振って、出かけてゆく姿を、仙二は嫌悪・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
出典:青空文庫