・・・それにかかわらず現に物理学のごときものの成立し、且つ実際に応用され得るは如何。これは要するに適当に選ばれたる有限の独立変数にてある程度までいわゆる原因を代表し、いわゆる方則によりて結果の一部を予報し得るに依る。これにはいわゆる原因と称するも・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・それで塵の層を通過して来た白光には、青紫色が欠乏して赤味を帯び、その代りに投射光の進む方向と直角に近い方向には、青味がかった色の光が勝つ道理である。遠山の碧い色や夕陽の色も、一部はこれで説明される。煙草の煙を暗い背景にあてて見た時に、青味を・・・ 寺田寅彦 「塵埃と光」
・・・しかし当局者はそのような不識庵流をやるにはあまりに武田式家康式で、かつあまりに高慢である。得意の章魚のように長い手足で、じいとからんで彼らをしめつける。彼らは今や堪えかねて鼠は虎に変じた。彼らの或者はもはや最後の手段に訴える外はないと覚悟し・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・り剽窃したりした間々に漢詩の七言絶句を挿み、自叙体の主人公をば遊子とか小史とか名付けて、薄倖多病の才人が都門の栄華を外にして海辺の茅屋に松風を聴くという仮設的哀愁の生活をば、いかにも稚気を帯びた調子でかつ厭味らしく飾って書いてある。全篇の題・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・靆の力を借るが如く、わたくしは電車と乗合自動車に乗って向島に行き、半枯れかかっている病樹の下に立って更に珍しくもない石碑の文をよみ、また朽廃した林亭の縁側に腰をかけては、下水のような池の水を眺めて、猶且つ倦まずに半日を送る。 老人が夕刊・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・先師慊叟カツテ予ニ語ツテ、吾京師及芳山ノ花ヲ歴覧シキ。然レドモ風趣ノ墨水ニ及ブモノナシト。洵ニ然リ。」云 江戸名家の文にして墨水桜花の美を賞したものは枚挙するに遑がない。しかし京師および吉野山の花よりも優っていると言ったものは恐らく松崎・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・然し彼の薄弱な心は大きな石で圧えつけられたように且つ釘付にされたように、彼の心の底にはそれが又厭であったけれどそうしっかと極められて畢った。彼の心は劇しく動揺して且つ困憊した。「それじゃ三次でも連れて来べえ」 対手は去った。太十は一・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・また昔は階級制度が厳しいために過去の英雄豪傑は非常にえらい人のように見えて、自分より上の人は非常にえらくかつ古人が世の中に存在し得るという信仰があったため、また、一は所が隔たっていて目のあたり見なれぬために遠隔の地の人のことは非常に誇大して・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・たと思いたまえ、すなわち横ぎりにかかる塗炭に右の方より不都合なる一輛の荷車が御免よとも何とも云わず傲然として我前を通ったのさ、今までの態度を維持すれば衝突するばかりだろう、余の主義として衝突はこちらが勝つ場合についてのみあえてするが、その他・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・太閤様と正成とどっちが偉いとか、ワシントンとナポレオンとどっちが強いとか、常陸山と弁慶と相撲を取ったらどっちが勝つとか、中には返答に困らないのもあるが、多くは挨拶に窮する問題である。要するに複雑な内容を纏め得る程度以上に纏めた簡略な形式にし・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
出典:青空文庫