・・・ 夜だからかまやしないことよ……」と浪子夫人が言いだした。「あぶないあぶない! それにお前なんかは乗れやしないよ」Tはとめた。「でも、あたし乗ってみたいんですもの……」 浪子夫人はすっと空気草履を穿いたまま飛び乗って、そろりそろ・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・この十蔵が事は貴嬢も知りたもうまじ、かれの片目は奸なる妻が投げ付けし火箸の傷にて盲れ、間もなく妻は狂犬にかまれて亡せぬ。このころよりかれが挙動に怪しき節多くなり増さりぬ、元よりかれは世の常の人にはあらざりき。今は三十五歳といえど子もなく兄弟・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ 坑夫の門鑑出入がやかましいのは、Mの狡猾な政策から来ていた。 しかし、いくらやかましく云っても、鉱山だけの生活に満足出来ない者が当然出て来る。その者は、夜ぬけをして都会へ出た。だが、彼等を待っているのは、頭をはねる親方が、稼ぎを捲・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・て、以前は私がそこへいろいろ野菜を植えていたのだけれども、子供が三人になって、とても畑のほうにまで手がまわらず、また夫も、昔は私の畑仕事にときどき手伝って下さったものなのに、ちか頃はてんで、うちの事にかまわず、お隣りの畑などは旦那さまがきれ・・・ 太宰治 「おさん」
・・・ 笠井氏は既に泥酔に近く、あたりかまわず大声を張りあげて喚き散らすので、他の酔客たちも興が覚めた顔つきで、頬杖なんかつきながら、ぼんやり笠井氏の蛮声に耳を傾けていました。「ただ、この、伊藤に向って一こと言って置きたい事があるんだ。そ・・・ 太宰治 「女類」
・・・死んだって焼けたって、かまやしないじゃないの。」「すごいものだね。」 と僕は言うより他は無かった。こりゃてっきり、ツネちゃんもあの関西弁と出来ちゃった、やぶれかぶれの大情熱だと僕は内心ひそかに断定を下し、妙に淋しかった。「雀でも・・・ 太宰治 「雀」
・・・泊って来たってかまやしません。」 僕はすぐに出かけ、酔っぱらって、そうして、泊った。姉というのはもう、初老のあっさりしたおかみさんだった。 何せ、借りが利くので重宝だった。僕は客をもてなすのに、たいていそこへ案内した。僕のところへ来・・・ 太宰治 「眉山」
・・・ロシアは八かましいと聞いていたから、自ら進んでスートケースの内容を展開しようとしたら税関吏の老人はニコニコしながら手真似で、そうしなくてもいいと制するのであった。尤もその前に一枚のルーブリの形をした信用状が彼のかくしに這入っていたのであった・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・物理学者が尺度の比較をする時には寒暖計を八かましく云っても、天王星やシリアスの位置を帳面につける必要はまだない。もしもそうでなかったらたとえ一メートルの標準尺度をカドミウム線の波長と比較しようとしても光の波長自身がどうして頼みになるであろう・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・また紋付きの羽織で、書机に向かって鉢巻きをしている絵の上に「アーウルサイ、モー落第してもかまん、遊ぶ遊ぶ」とかいたものもある。 亮が後年までほとんど唯一の親友として許し合っていたM氏との交遊の跡も同じ帳面の絵からわかる。 中学時代か・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
出典:青空文庫