・・・ ここは、切立というほどではないが、巌組みの径が嶮しく、砕いた薬研の底を上る、涸れた滝の痕に似て、草土手の小高い処で、るいるいと墓が並び、傾き、また倒れたのがある。 上り切った卵塔の一劃、高い処に、裏山の峯を抽いて繁ったのが、例の高・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ で、水を含ますと、半死の新造は皺涸れた細い声をして、「お光……」と呼んだ。「はい」と答えて、お光はまず涙を拭いてから、ランプを片手に自分の顔を差し寄せて、「私はここにいますよ、ね、分りましたか?」「お前には世話をかけた……」・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・音機という綽名を持ち、一年三百六十五日、一日も欠かさず、お前たちの生命は俺のものだという意味の、愚劣な、そしてその埋め合わせといわん許りに長ったらしい、同じ演説を、朝夕二回ずつ呶鳴り散らして、年中声が涸れ、浪花節語りのように咽を悪くし、十分・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・私の声は腹に力が足りなかったのか、かなり涸れた細い声で、随分威勢が上らなかった。それをSのために済まなく思った。けれども彼は、思い掛けぬ私の万歳にこぼれ落ちるような喜びを雨に濡れた顔一杯泛べた。よくも万歳をいってくれたなアという嬉しさがあり・・・ 織田作之助 「面会」
・・・ 筧は雨がしばらく降らないと水が涸れてしまう。また私の耳も日によってはまるっきり無感覚のことがあった。そして花の盛りが過ぎてゆくのと同じように、いつの頃からか筧にはその深祕がなくなってしまい、私ももうその傍に佇むことをしなくなった。しか・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・二郎が深き悲しみは貴嬢がしきりに言い立てたもう理由のいかんによらで、貴嬢が心にたたえたまいし愛の泉の涸れし事実の故のみ。この事実は人知れず天が下にて行なわれし厳かなる事実なり。 いかなる言葉もてもこれを言い消すことあたわず、大空の星の隕・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・、燈をかかげてこなたの顔を照らしぬ。丸き目、深き皺、太き鼻、逞ましき舟子なり。「源叔父ならずや」、巡査は呆れし様なり。「さなり」、嗄れし声にて答う。「夜更けて何者をか捜す」「紀州を見たまわざりしか」「紀州に何の用ありてか・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 嗄れし声にて、よき火やとかすかに叫びつ、杖なげ捨てていそがしく背の小包を下ろし、両の手をまず炎の上にかざしぬ。その手は震い、その膝はわななきたり。げに寒き夜かな、いう歯の根も合わぬがごとし。炎は赤くその顔を照らしぬ。皺の深さよ。眼いた・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・谷川の水、流れとともに大海に注がないで、横にそれて別に一小沢を造り、ここに淀み、ここに腐り、炎天にはその泥沸き、寒天にはその水氷り、そしてついには涸れゆくをまつがごときである。しかしかれと対座してその眼を見、その言葉をきくと、この例でもなお・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・声かれ血涸れ涙涸れてしかして成し遂ぐるわが事業こそ見物なりしに。ああされど今や君はわが力なり。あらず、君を思うわが深き深き情けこそわが将来の真の力なれ。あらず。われを思う君が深き高き清き情けこそわが将来の血なれ。この血は地の底を流るる春の泉・・・ 国木田独歩 「わかれ」
出典:青空文庫