・・・ で彼はお昼からまた、日のカン/\照りつける中を、出て行った。顔から胸から汗がぽた/\流れ落ちた。クラ/\と今にも打倒れそうな疲れた頼りない気持であった。歯のすり減った下駄のようになった日和を履いて、手の脂でべと/\に汚れた扇を持って、・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ わが水兵はいかに酔っていても長官に対する敬礼は忘れない。彼らは自分を見るや一同起立して敬礼を行なう、その態度の厳粛なるは、まだ十二分に酔っていないらしい。中央に構えていた一人の水兵、これは酒癖のあまりよくないながら仕事はよくやるので士・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・「それほどまでに二人が艱難辛苦してやッと結婚して、一緒になったかと思うと間もなく、ポカンと僕を捨てて逃げ出して了ったのです」「まア痛いこと! それで貴下はどうなさいました。」とお正の眼は最早潤んでいる。「女に捨てられる男は意気地・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・すると母、やはり気がとがめるかして、少し気色を更え、音がカンを帯びて、「なに私どもの処に下宿している方は曹長様ばかりだから、日曜だって平常だってそんなに変らないよ。でもね、日曜は兵が遊びに来るし、それに矢張上に立てば酒位飲まして返すから・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・治まる聖代のありがたさに、これぞというしくじりもせず、長わずらいにもかからず、長官にも下僚にも憎まれもいやがられもせず勤め上げて来たのだ。もはやこうなれば、わしなどはいわゆる聖代の逸民だ。恩給だけでともかくも暮らせるなら、それをありがたく頂・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・ワーシカは、ポカンとして、しばらくそこに不思議がりながら立っていた。密輸入者はどうしたんだろう。 だが、間もなく、ワーシカの疑問は解決された。朝鮮銀行がやっていた、暗黒相場のルーブル売買が禁止されたのが明らかになった。密輸入者が国外へ持・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・ヤマカン会社で、地方のなにも知らん慾ばりの爺さんどもを、一カ年五割の配当をすると釣って金を出させ、そいつをかき集めて、使いこんで行くというやり方だった。ジメ/\した田の上に家を建てゝ、そいつを貸したり、荷馬車屋の親方のようなことをやったり、・・・ 黒島伝治 「自伝」
・・・和田はだんだん何だかアテがはずれたようなポカンとした気持になって行った。 黒島伝治 「チチハルまで」
・・・ストライキとデモで我等の前衛を奪カンせよ!」と書かれているビラを見た。ストライキとデモで……お君は口の中でくりかえして見た……我等の前衛を奪カンせよ。――日本中の工場がみんなその為にストライキを起したら、そうだ、その通りだと思った。お君は不・・・ 小林多喜二 「父帰る」
・・・ただ、黙って、ポカンとしているだけ。そうして、そんな時の私は、人にもおひとよしに見えるだろうと思えば、なおのこと、私は、ポカンと安心して、甘えたくなって、心も、たいへんやさしくなるのだ。 だけど、やっぱり眼鏡は、いや。眼鏡をかけたら顔と・・・ 太宰治 「女生徒」
出典:青空文庫