・・・褐色した丘陵の連続が指さされる。その向こうには紫色がかった高い山が蜿蜒としている。砲声はそこから来る。 五輛の車は行ってしまった。 渠はまた一人取り残された。海城から東煙台、甘泉堡、この次の兵站部所在地は新台子といって、まだ一里・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ら来るかと言うと、千駄谷の田畝を越して、櫟の並木の向こうを通って、新建ちのりっぱな邸宅の門をつらねている間を抜けて、牛の鳴き声の聞こえる牧場、樫の大樹に連なっている小径――その向こうをだらだらと下った丘陵の蔭の一軒家、毎朝かれはそこから出て・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・突然路が右へ曲ると途方もない広い新道が村山瀦水池のある丘陵の南麓へ向けて一直線に走っている。無論参謀本部の五万分一地図にはないほど新しい道路である。道傍の畑で芋を掘上げている農夫に聞いて、見失った青梅への道を拾い上げることが出来た。地図をあ・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・湖畔の低い丘陵の丸くなめらかな半腹の草原には草花が咲き乱れ、ところどころに李やりんごらしい白や薄紅の花が、ちょうど粉でも振りかけたように見える。新緑のあざやかな中に赤瓦白壁の別荘らしい建物が排置よく入り交じっている。そのような平和な景色のか・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 鉄道線路脇のちょっとした雑木林の陰に草を折り敷いて、向うの丘陵に二軒つづいた赤瓦屋根を入れたスケッチを始めた。 すぐ眼の前の道路を通行する人は多いが、一人も私の絵など覗きに来るものはない。おそらくこの辺では私のような素人絵かきはあ・・・ 寺田寅彦 「断片(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・大震後横浜から鎌倉へかけて被害の状況を見学に行ったとき、かの地方の丘陵のふもとを縫う古い村家が存外平気で残っているのに、田んぼの中に発展した新開地の新式家屋がひどくめちゃめちゃに破壊されているのを見た時につくづくそういう事を考えさせられたの・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・コバルトの空には玉子色の綿雲が流れて、遠景の広野の果の丘陵に紫の影を落す。森のはずれから近景へかけて石ころの多い小径がうねって出る処を橙色の服を着た豆大の人が長い棒を杖にし、前に五、六頭の牛羊を追うてトボトボ出て来る。近景には低い灌木がとこ・・・ 寺田寅彦 「森の絵」
・・・祠辺一区ノ地、之ヲ曙ノ里ト称シ、林泉ノ勝ニ名アリ。丘陵苑池、樹石花草巧ニ景致ヲ成ス。而シテ園中桜樹躑躅最多ク、亦自ラ遊観行楽ノ一地タリ。祠前ノ通衢、八重垣町須賀町、是ヲ狭斜ノ叢トナス。此地ノ狭斜ハ天保以前嘗テ一タビ之ヲ開ク。未ダ幾クナラズシ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・庭つづきになった後方の丘陵は、一面の蜜柑畠で、その先の山地に茂った松林や、竹藪の中には、終日鶯と頬白とが囀っていた。初め一月ばかりの間は、一日に二、三時間しか散歩することを許されていなかったので、わたくしはあまり町の方へは行かず、大抵この岡・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・私は都会の北方を限る小石川の丘陵をば一年一年に恋いしく思返す。 十二、三の頃まで私は自分の生れ落ちたこの丘陵を去らなかった。その頃の私には知る由もない何かの事情で、父は小石川の邸宅を売払って飯田町に家を借り、それから丁度日清戦争の始まる・・・ 永井荷風 「伝通院」
出典:青空文庫