・・・ 堺氏は「およそ社会の中堅をもってみずから任じ、社会救済の原動力、社会矯正の規矩標準をもってみずから任じていた中流知識階級の人道主義者」を三種類に分け、その第三の範囲に、僕を繰り入れている。その第三の範囲というのは「労働階級の立場を是認・・・ 有島武郎 「片信」
・・・朝毎の町のどさくさはあっても、工場の笛が鳴り、汽車ががたがた云って通り、人の叫声が鋭く聞えてはいても、なんとなく都会は半ば死しているように感じられる。 フレンチの向側の腰掛には、為事着を着た職工が二三人、寐惚けたような、鼠色の目をした、・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・相矛盾せる両傾向の不思議なる五年間の共棲を我々に理解させるために、そこに論者が自分勝手に一つの動機を捏造していることである。すなわち、その共棲がまったく両者共通の怨敵たるオオソリテイ――国家というものに対抗するために政略的に行われた結婚であ・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・このあたりにても深夜に女の叫声を聞くことは、珍しからず。佐々木氏の祖父の弟、白望に茸を採りに行きて宿りし夜、谷を隔てたるあなたの大なる森林の前を横ぎりて女の走り行くを見たり。中空を走る様に思われたり。待てちゃアと二声ばかり呼ばりたるを聞・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・ 三「お澄さん……私は見事に強請ったね。――強請ったより強請だよ。いや、この時刻だから強盗の所業です。しかし難有い。」 と、枕だけ刎ねた寝床の前で、盆の上ながらその女中――お澄――に酌をしてもらって、怪しから・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・恍洋たるロマンチシズムの世界には、何人も、強制を布くことを許さぬ。こゝでは、自由と美と正義が凱歌を奏している。我等は、文芸に於てこそ、最も自由なるのではないか。誰か、文芸は、政治に従属しなければならぬという? ふたゝび、ロマンシズムの自・・・ 小川未明 「自由なる空想」
・・・ 愛のなきところには、芸術もなければ、教育もないのであります。強制、強圧を排して、自治、自得に重きを置くはこのためです。 その最もいゝ例は、おじいさんや、おばあさんが、毎日、毎夜同じお話を孫達に語ってきかせて、孫達は、いくたびそれを・・・ 小川未明 「童話を書く時の心」
・・・ これを要するに、大人が、功利的に、機械的に、強制的に、はじめから教育することを目的としてなされたものは、何一つとして、人格を養成する上に効果のなかったのを知らなければなりません。そして、子供達は、親達さえ、また、教える者さえ、真面目で・・・ 小川未明 「読んできかせる場合」
・・・、翻訳の文章を読んだだけでは日本文による小説の書き方が判らぬから、当時絶讃を博していた身辺小説、心境小説、私小説の類を読んで、こういう小説、こういう文章、こういう態度が最高のものかというノスタルジアを強制されたことが、ますます私をジレンマに・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・そこで私は、もしかしたらこれは、長髪の生徒の中には社会主義の思想を抱いている者が多いから、丸刈りを強制したのかも知れないという珍妙な想像をして、ひそかに吹きだした。しかし、私は髪こそ長かったが、社会主義の思想を抱く生徒ではなかった。 私・・・ 織田作之助 「髪」
出典:青空文庫