・・・休日に近郊などへ散歩に出かけられるのでも、やはり同様な見地からであったように自分には思われる。 下手な論文を書いて見ていただくと、実に綿密に英語の訂正はもちろん、内容の枝葉の点に至るまで徹底的に修正されるのであった。一度鉛筆で直したのを・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・器械全体の大きさに対してなんとなく均衡を失して醜い不安な外観を呈するものである。一寸法師が尨大なメガフォーンをさしあげてどなっているような感じがある。これが菊咲き朝顔のように彩色されたのなどになるといっそう恐ろしい物に見えるのである。 ・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ 地理学教室ではペンクや助手のベーアマンが引率して近郊の地質地理見学に出掛けた。ペンクの足の早いのとベーアマンの口の早いのとに悩まされたが、ずいぶん色々とためにはなった。 学生の有志の見学団で毎週のようにいろいろの見学参加募集をする・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・堤上の桜花もまた水害の後は時勢の変遷するに従い、近郊の開拓せらるるにつれて次第に枯死し、大正の初に至っては三囲堤のあたりには纔に二、三の病樹を留むるばかりとなった。浜村蔵六が植桜之碑には堤上桜樹の生命は大抵人間と同じであるが故に絶えずこれが・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ 元八幡宮のことは『江戸名所図会』、『葛西志』、及び風俗画報『東京近郊名所図会』等の諸書に審である。甲戌十二月記 永井荷風 「元八まん」
・・・先ず案内の僧侶に導かれるまま、手摺れた古い漆塗りの廻廊を過ぎ、階段を後にして拝殿の堅い畳の上に坐って、正面の奥遥には、金光燦爛たる神壇、近く前方の右と左には金地に唐獅子の壁画、四方の欄間には百種百様の花鳥と波浪の彫刻を望み、金箔の円柱に支え・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・前じきそこにあったんですが掛手金山の精錬所(ああ、金鉱を搗(ええ、そう、そう、水車って云えば水車でさあ。ただ粟や稗(そしてお家はまだ建たなかったんですね、いやお食事のところをお邪魔 学生は立とうとした。嘉吉はおみちの前でもう少してきぱき・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・私のとこのアーティストは、私の頭に、金口の瓶から香水をかけながら答えました。 それからアーティストは、私の顔をも一度よく拭って、それから戸口の方をふり向いて、「ちょっと見て呉れ。」と云いました。アーティストたちは、あるいは戸口に立ち・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・満州侵略に着手した田中義一の内閣に外交官であった吉田茂が、この減刑運動を、国内の民主勢力にたいする一つの均衡物として利用しようとするなら、それは一つの国際的な民主主義にたいする罪悪であるとおもう。 三 こう・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・こんなまとまりのない、二重三重の不均衡でがたぴし、民族の隷属がむき出されているありさまが、わたしたち日本人の文化の本質だというのだろうか。 戦時中の反動で、しきりに教養だの文化だのと求めながら、わたしたちは必要なだけの真面目さで今日の文・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
出典:青空文庫