・・・坂の降り口にある乾き切った石段の横手の芝なぞもそれだ。日頃懇意な植木屋が呉れた根も浅い鉢植の七草は、これもとっくに死んで行った仲間だ。この旱天を凌いで、とにもかくにも生きつづけて来た一二の秋草の姿がわたしの眼にある。多くの山家育ちの人達と同・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・老人は丘を下りて河の方へ歩き出した。さて岸の白楊の枯木に背中を寄せかけて坐った。その顔には決断の色が見えている。槌で打ち固めたような表情が見えている。両膝を高く立てた。そしてそれを両腕で抱いた。さて頭をその膝頭に載せた。老人はこんな風に坐っ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ウイリイは、めずらしい羽根だからひろっていこうと思って、馬から下りようとしました。すると馬が止めて、「いけません/\。ほうっておおきなさい。それをおひろいになると大へんなことがおこります。」と言いました。ウイリイはそのまま通り過ぎました・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・ わかいおかあさんはこの大事な重荷のために息を切って、森の中は暑いものだから、汗の玉が顔から流れ下りました。「のどがかわきました、ママ」 とおさないむすめは泣きつくのでした。「いい子だからこらえられるだけこらえてごらんなさい・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・甲府へ降りようと思った。甲府なら、東京よりも温いほどで、この冬も大丈夫すごせると思った。 甲府へ降りた。たすかった。変なせきが出なくなった。甲府のまちはずれの下宿屋、日当りのいい一部屋かりて、机にむかって坐ってみて、よかったと思った。ま・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・おれはそれを提げて、来合せた電車に乗って、二分間ほどすると下りた。「旦那。お忘れ物が。」車掌があとからこう云った。 おれは聞えない振りをして、ずんずん歩いた。そうすると大騒ぎになった。電車に乗っていた連中が総立ちになる。二人はおれを・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・ 沓掛駅の野天のプラットフォームに下りたった時の心持は、一駅前の軽井沢とは全く別である。物々しさの代りに心安さがある。 星野温泉行のバスが、千ヶ滝道から右に切れると、どこともなくぷんと強い松の匂いがする。小松のみどりが強烈な日光に照・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・ ここの浜も美しかったが、降りてみるほどのことはなかった。「せっかく来たのやよって、淡路へ渡ってみるといいのや」雪江はパラソルに日をさえながら、飽かず煙波にかすんでみえる島影を眺めていた。 時間や何かのことが、三人のあいだに評議・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・手の長い猿共が山から山へ、森から森へ遊びあるいて、ある豁川にくると、何十匹の猿が手をつないで樹の枝からブラ下り、だんだん大きく揺れながら、むこうの崖にとびついて、それから他の猿どもを順々に渡してやるという話である。林はそれをもう本もみないで・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・崖を下りて生茂った熊笹の間を捜したが、早くも出勤の刻限になった。「田崎、貴様、よく捜して置いて呉れ。」「はあ、承知しました。」 玄関に平伏した田崎は、父の車が砂利を轢って表門を出るや否や、小倉袴の股立高く取って、天秤棒を手に庭へ・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫