・・・舌をやってみると、ぐらぐら動くやつが一本ある。どうも赤木の雄弁に少し祟られたらしい。 三十日 朝起きたら、歯の痛みが昨夜よりひどくなった。鏡に向って見ると、左の頬が大分腫れている。いびつになった顔は、確にあまり体裁の好いものじゃ・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・どうかするとぐらぐらとゆれるやつがある。おやと思ってその次のやつへ足をかけるとまたぐらりとくる。しかたがないから四つんばいになって猿のような形をして上る。その上にまだ暗いのでなんでも判然とわからない。ただまっ黒なものの中をうす白いものがふら・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・形ばかりの竹を縄搦げにした欄干もついた、それも膝までは高くないのが、往き還り何時もぐらぐらと動く。橋杭ももう痩せて――潮入りの小川の、なだらかにのんびりと薄墨色して、瀬は愚か、流れるほどは揺れもしないのに、水に映る影は弱って、倒に宿る蘆の葉・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 船はぐらぐらとしただがね、それで止まるような波じゃねえだ。どんぶりこッこ、すっこッこ、陸へ百里やら五十里やら、方角も何も分らねえ。」 女房は打頷いた襟さみしく、乳の張る胸をおさえたのである。 六「晩飯の・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・素敵に長い、ぐらぐらする橋を渡るんだと思ったっけ。ああ、酔った。しかし可い心持だ。」とぐったり俯向く。「旦那、旦那、さあ、もう召して下さい、……串戯じゃない。」 と半分呟いて、石に置いた看板を、ト乗掛って、ひょいと取る。 鼻の前・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ もうな、火事と、聞くと頭から、ぐらぐらと胸へ響いた。 騒がぬ顔して、皆には、宮浜が急に病気になったから今手当をして来る。かねて言う通り静にしているように、と言聞かしておいて、精々落着いて、まず、あの児をこの控所へ連れ出して来たんだ・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・畳一枚ほどに切れている細長い囲炉裡には、この暑いのに、燃木が四、五本もくべてあって、天井から雁木で釣るした鉄瓶がぐらぐら煮え立っていた。「どうも、毎度、子供がお世話になって」と、炉を隔てて僕と相対したお貞婆さんが改まって挨拶をした。・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・足元がぐらぐらしながらも、それだけははっきり言った。が、柳吉の声は、「お前は来ん方がええ。来たら都合悪い。よ、よ、よ、養子が……」あと聞かなかった。葬式にも出たらいかんて、そんな話があるもんかと頭の中を火が走った。病院の廊下で柳吉の妹が言っ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・君のような神経の少し遅鈍の方なら知らないこと――失敬失敬――僕はもう呼吸が塞がりそうになって、目がぐらぐらして来た。これが三十分も続いたら僕は気絶したろう。ところが間もなく、旦那はうめえなアと耳元で大声に叫んだ奴がある。 びっくりして振・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・ましく助は可愛く、父上は恋しく、懐かしく、母と妹は悪くもあり、痛ましくもあり、子供の時など思い起しては恋しくもあり、突然寄附金の事を思いだしては心配で堪らず、運動場に敷く小砂利のことまで考えだし、頭はぐらぐらして気は遠くなり、それでいて神経・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫