・・・むしろバナナのほうは景気がいいが、書物のほうはさびしい。「二人行脚」の著者故日下部四郎太博士がまだ大学院学生で岩石の弾性を研究していたころのことである。一日氏の机上においてある紙片を見ると英語で座右の銘とでもいったような金言の類が数行書・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・船の出るとき同行の芳賀さんと藤代さんは帽子を振って見送りの人々に景気のいい挨拶を送っているのに、先生だけは一人少しはなれた舷側にもたれて身動きもしないでじっと波止場を見おろしていた。船が動き出すと同時に、奥さんが顔にハンケチを当てたのを見た・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・しかしそれほど偶然的でない色々な災難の源を奥へ奥へ捜って行った時に、意外な事柄の継起によってそれが厄年前後における当人の精神的危機と一縷の関係をもっている事を発見するような場合はないものだろうか。例えばその人が従来続けて来た平静な生活から転・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・ その前々晩に、遠所にいるお芳から電話がかかってきて、芝居の景気ををたずねて、場所の都合がどうかと言ってきた。お芳のいるのは土地の大きな妓楼で、金瓶楼という名を、道太はここへ来てから、たびたび耳にしていた。それはお絹も、家が没落したとき・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・母親は日頃娘がひいきになるその返礼という心持ばかりでなく、むかしからの習慣で、お祭の景気とその喜びとを他所から来る人にも頒ちたいというような下町気質を見せたのであろう。日頃何につけても、時代と人情との変遷について感動しやすいわたくしには、母・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・と景気よく答えたのは遠吠が泥棒のためであるとも解釈が出来るからである。巡査は帰る。余は夜が明け次第四谷に行くつもりで、六時が鳴るまでまんじりともせず待ち明した。 雨はようやく上ったが道は非常に悪い。足駄をと云うと歯入屋へ持って行ったぎり・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・両者の対立、相互関係は、自己自身を形成する歴史的世界の両契機として考えられねばならない。有限と無限と矛盾的自己同一の両端として、自己と神とがあるのである。而して絶対現在の瞬間的自己限定として、我々の自己は、神によって次の瞬間に存在するのであ・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・今度はどの位だな、と思っていると、大抵刑期はそれより一年とは違わなかった。――一年の人間の生活は短くない。だが、無頼漢共を量る時には、一年の概念的な数字に過ぎなかった。その一年の間に、人間の生活が含まれていると云う事は考えられなかった。それ・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・いつも景気のいい気持ばかりでもないんです。 ヘイ。 監獄がどの位、いけすかねえところか。 ちょうど私と同志十一人と放り込んだ。その密告をやった奴を、公判廷で私が蹴飛ばした時のこった。検事が保釈をとり消す、と言ってると、弁護士から・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・商売の景気を探らんために奔走する者は多けれども、子を育するの良法を求めんためにとて、百里の路を往来し、十円の金を費やしたる者あるを聞かず。旅費の多き旅行なれば、千里の路も即日の支度にて出立すれども、子を育するに不便利なりとて、一夕の思案を費・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
出典:青空文庫