・・・とある、これが昔おろした子供の亡魂の幻像であったというのである。実に簡潔で深刻に生ま生ましい記載である。蓮の葉はおそらく胎盤を指すものであろうか。こういう例は到底枚挙する暇のないことであろう。 錯綜した事象の渾沌の中から主要なもの本質的・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・しかし、グリーンホテルを緑屋などと訳してみた覚えは全然ないのであるが、いつか一度ぐらいひょっとそんな事を考えてそれきり忘れていたのが夢という現象の不思議な機巧によって忘却の闇の奥から幻像の映写幕の上に引き出されたのではないか、そうとでも考え・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・ このように、新聞はその記事の威力によって世界の現象自身を類型化すると同時に、その類型の幻像を天下に撤き広げ、あたかも世界じゅうがその類型で満ち満ちているかのごとき錯覚を起こさせ、そうすることによって、さらにその類型の伝播をますます助長・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・ずれる日が来たのであったが、その時からまたさらに二十年を隔てた今の自分には、この油絵のスイスと、現実に体験したスイスとの間の差別の障壁はおおかた取り払われてしまって、かえって二十年前の現実が四十年前の幻像の中に溶け込むようにも思われるのであ・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・子供の時分から色刷り石版画や地理書のさし絵で見慣れていて、そして東洋の日本の片田舎に育った子供の自分が、好奇心にみちた憧憬の対象として、西洋というものを想像するときにいつも思い浮かべた幻像の一つであったあのヴェスヴィアスが、今その現実の姿を・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・幼い子等には、まだ見たことのない父母の郷国が、お伽噺の中の妖精国のように不思議な幻像に満たされているように思われるらしい。例えば郷里の家の前の流れに家鴨が沢山並んでいて、夕方になると上流の方の飼主が小船で連れに来るというような何でもない話で・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・の心はその時不思議にこのおとぎ歌劇の音楽に引き込まれて行った。充分には聞きとり兼ねる歌詞はどうであっても、歌う人の巧拙はどうであってもそんな事にかまわず私の胸の中には美しい「子供の世界」の幻像が描かれた。聞いているうちになんという事なしに、・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・あるいは支那人や大雅堂蕪村やあるいは竹田のような幻像が絶えず眼前を横行してそれらから強い誘惑を受けているように見える。そしてそれらに対抗して自分の赤裸々の本性を出そうとする際に、従来同君の多く手にかけて来た図案の筆法がややもすれば首を出した・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・宗教や伝説や偉人やその他一般に過去を題材とした新しい画から「新しい昔の幻像」を吹き込まれた例を捜してみたが容易に思い出せない。帝展以外の方面もひっくるめてやっと思い出しのが龍子の「二荒山の絵巻」、誰かの「竹取物語」、百穂の二、三の作、麦僊の・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・ この美しい音楽の波は、私が読んでいる千年前の船戦の幻像の背景のようになって絶え間なくつづいて行った。音が上がって行く時に私の感情は緊張して戦の波も高まって行った。音楽の波が下がって行く時に戦もゆるむように思われた。投げ槍や斧をふるう勇・・・ 寺田寅彦 「春寒」
出典:青空文庫