・・・ 空間についてはわれわれはパースペクティーヴの原理によって日常ある点までは映画におけると同様な尺度の変更を体験しているのであるが、時間についてはこれに相応する経験を全然もっていないと言ってもよい。それで、もしもわれわれの身辺の現象の時間・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・たとえ日進月歩の新知識を統括する方則や原理の数はそれほど増さないとしても、これによって概括せらるべき事実の数は次第に増加して来るばかりである。従って勢い物理学の中でもだんだんに専門の数が増加しその範囲が狭くなる。この勢いで進んで行けば物理学・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・これは適者生存自然淘汰の原理によって、元来寒暖計などあるまじき原始人の風呂場にあった寒暖計が、当然に自然に消失したものであろう。 チャムバーレンという人が云った皮肉な詞に「日本人に独自なものは風呂桶とポエトリーだけだ」というのがある。そ・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・この乗るという字に註釈が入る、この字は吾ら両人の間にはいまだ普通の意味に用られていない、わがいわゆる乗るは彼らのいわゆる乗るにあらざるなり、鞍に尻をおろさざるなり、ペダルに足をかけざるなり、ただ力学の原理に依頼して毫も人工を弄せざるの意なり・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・要するに原理は簡単で、物質的に人のためにする分量が多ければ多いほど物質的に己のためになり、精神的に己のためにすればするほど物質的には己の不為になるのであります。 以上申し上げた科学者哲学者もしくは芸術家の類が職業として優に存在し得るかは・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・共産主義と云うのは、全体主義的ではあるが、その原理は、何処までも十八世紀の個人的自覚による抽象的世界理念の思想に基くものである。思想としては、十八世紀的思想の十九世紀的思想に対する反抗とも見ることができる。帝国主義的思想と共に過去に属するも・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
・・・哲学はかかる立場において、知識の根本原理を把握するのである。故に哲学の最高原理は、矛盾的自己同一的たらざるを得ない。 知識は単に形式論理の立場から成立するのではない。知識は何らかの意味においての直観を含んでいなければならない。然らざれば・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・彼は、年こそ六十にもなっているが、インガの勤労者としての価値、及び解放された女がどうでなければならないかという一般の原理に対しては、いつも公平な立場で、社会的に理解し先進的な見解を失わない男である。「――彼女がどうだっていうんだ? 仕事・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・、また吉田洋一氏の親しみぶかく数学の原理を語っている「零の発見」などがあるけれど、物理の物語は岩波文庫にファラディーの「蝋燭の科学」のほかフランスの数学者物理学者天文学者であったアンリ・ポアンカレの著述が三冊訳されているばかりで、ポアンカレ・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・ 科学教育のことが云われるからには、有益な科学の原理的な知識とともに、無私なよい観察者としての能力と、独創性を発揮するに足りるだけの周密、動的な推理の力とを二本の脚とする科学の精神が、あらゆる男女の心に培かわれてゆくことを願っていいので・・・ 宮本百合子 「科学の精神を」
出典:青空文庫