・・・心理学の講筵でもないのにむずかしい事を申上げるのもいかがと存じますが、必要の個所だけをごく簡易に述べて再び本題に戻るつもりでありますから、しばらく御辛抱を願います。我々の心は絶間なく動いている。あなた方は今私の講演を聴いておいでになる、私は・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・これは友人滝君が京都大学で本邦美術史の講演を依託された際、聴衆に説明の必要があって、建築、彫刻、絵画の三門にわたって、古来から保存された実物を写真にしたものであるから、一枚一枚に観て行くと、この方面において、わが日本人が如何なる過去をわれわ・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
・・・ただいま本社の人が明日の新聞に出すんだから、講演の梗概を二十行ばかりにつづめて書けという注文でしたが、それは書けないと言って断ったくらいです。それじゃアしゃべらないかというと、現にこうやってしゃべりつつある。しゃべる事はあるのですが、秩序と・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
私はこの地方にいるものではありません、東京の方に平生住っております。今度大阪の社の方で講演会を諸所で開きますについて、助勢をしろという命令――だか通知だか依頼だかとにかく催しに参加しなければならないような相談を受けました。それでわざわ・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・金沢では外国人は多く公園から小立野へ入る入口の処に住んでいる。外国人といっても僅の数に過ぎないが。私はその頃ちょうど小立野の下に住んでいた。夕方招かれた時刻の少し前に、家を出て、坂を上り、ユンケル氏の宅へ行ったのである。然るにどうしたことか・・・ 西田幾多郎 「アブセンス・オブ・マインド」
・・・浅草公園の隅のベンチが、老いて零落した彼にとっての、平和な楽しい休息所だった。或る麗らかな天気の日に、秋の高い青空を眺めながら、遠い昔の夢を思い出した。その夢の記憶の中で、彼は支那人と賭博をしていた。支那人はみんな兵隊だった。どれも辮髪を背・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ 一方が公園で、一方が南京町になっている単線電車通りの丁字路の処まで私は来た。若し、ここで私をひどく驚かした者が無かったなら、私はそこで丁字路の角だったことなどには、勿論気がつかなかっただろう。処が、私の、今の今まで「此世の中で俺の相手・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・竜動に巍々たる大廈石室なり、その市街に来往する肥馬軽車なり、公園の壮麗、寺院の宏大、これを作りてこれを維持するその費用の一部分は、遠く野蛮未開の国土より来りしものならん。ただに遠国のみならず、現に両国境を接する日耳曼と仏蘭西との戦争において・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・西洋の話を聞くと公園の真中に草花がつくってある。それには垣も囲いもなんにもない。多くの人はその傍を散歩して居る。それでもその花一つ取る者は仮にもない。どんな子供でも決して取るなんという事はないそうだ。それが日本ではどうだ。白壁があったら楽書・・・ 正岡子規 「墓」
・・・四月九日〔以下空白〕一千九百廿五年五月五日 晴まだ朝の風は冷たいけれども学校へ上り口の公園の桜は咲いた。けれどもぼくは桜の花はあんまり好きでない。朝日にすかされたのを木の下から見ると何だか蛙の卵のような気がす・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
出典:青空文庫