・・・そうと心づいた予は実に父の生前石塔をつくったというについて深刻に後悔した。なぜこんなばかなことをやったのであろうか、われながら考えのないことをしたものかなと、幾度悔いても間に合わなかった。それより四カ月とたたぬうちに父は果たして石塔の主人と・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・正直な満蔵は真から飛んだ事を言ってしまったとの後悔が、隠れなく顔にあらわれる。満蔵が正直あふれた無言の謝罪には、母もその上しかりようないが、なお母は政さんにもそれと響くよう満蔵に強く念を押す。「ねい満蔵、ちょっとでもそんなうわさを立てら・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・しまったと後悔したのは、出口の障子をつい烈しくしめたことだ。 きょうは早く行って、あの男またはその他の人に呼ばれないうちに、吉弥めをあげ、一つ精一杯なじってやろうと決心して、井筒屋へ行った。湯から帰ってすぐのことであった。「叔母さん・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・四 明くる日、露子は窓によって、赤い船はいまごろどこを航海していようかと思っていますと、ちょうどそこへ一羽のつばめが、どこからともなく飛んできました。 露子は、つばめに向かって、「おまえは、どこからきたの。」と聞・・・ 小川未明 「赤い船」
・・・ そしてその夜は、後悔しました。 あの大事な笛を割ってしまって、とりかえしがつかなかったからです。 あくる日の昼ごろ、二郎は砂山へいって、昨日笛を吹いたところにきてみました。 するとそこには、いろいろの草が、一夜のうちに花を・・・ 小川未明 「赤い船のお客」
・・・その後、海にいって船乗りになった龍雄は、いま、どこを航海していることでしょう。もう、彼は、故郷には帰ってこなかったのです。 小川未明 「海へ」
・・・「よくこの荒波の上を航海して、この港近くまでやってきたものだ。なにか用があって、この港にきたものだろうか。」と、一人がいっていました。「ごらんなさい。あの船は止まっています。だれかあの船はどこの国の船か、お知りの方はありませんか・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・いや、私のような平凡な男がどんな風に育ったかなどという話は、思えばどうでもいいことで、してみると、もうこれ以上話をしてみても始まらぬわけだと、今までの長話も後悔されてきます。しかし、それもお喋りな生れつきの身から出た錆、私としては早く天王寺・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 正倉院の御物が公開されると、何十万という人間が猫も杓子も満員の汽車に乗り、電車に乗り、普段は何の某という独立の人格を持った人間であるが、車掌にどなりつけられ、足を踏みつけられ、背中を押され、蛆虫のようにひしめき合い、自分が何某とい・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・次の本屋へ行っては先刻の本屋で買わなかったことを後悔した。そんなことを繰り返しているうちに自分はかなり参って来た。郵便局で葉書を買って、家へ金の礼と友達へ無沙汰の詫を書く。机の前ではどうしても書けなかったのが割合すらすら書けた。 古本屋・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
出典:青空文庫