・・・たとえば、竜ノ口の法難のとき、四条金吾が頸の座で、師に事あらば、自らも腹切らんとしたことを、肝に銘じて、後年になって追憶して、「返す/\も今に忘れぬ事は、頸切られんとせし時、殿は供して馬の口に付て、泣き悲しみ給ひしは、如何なる世にも忘れ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・にどなられて育った。後年、網元の嘉平と利吉は、落ちぶれて死んじゃったが、その時は気持がよくって胸がすっとした。 鰯網が出ない時には、牛飼いをやった。又牛の草を苅りに出た。が、なか/\草は苅らずに、遊んだり角力を取ったりした。コロ/\と遊・・・ 黒島伝治 「自伝」
・・・しかし、後年の自然主義作家としての飾気のない、ぶっきら棒な、それでいて熱情的な文章は、この通信に、既に特色を現わしている。彼は、愛国心に満ちた士官の持つ、それと同じ心臓で、運送船で敵地に送られた陸兵の上陸や、大連湾の攻撃や、威海衛の偵察、旅・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・然し後年、左様私が二十一歳の時、旅から帰って見たら、足掛三年ばかりの不在中に一家悉く一時耶蘇教になったものですから、年久しく堅く仕付けられた習慣も廃されて仕舞って、毎朝の務も私を限りに終りました。こういう家庭のありさまでしたから、近来私の一・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・いま思えば、その釘の中には、後年の流行作家も沢山いたようである。髪を長く伸ばして、脊広、或いは着流し、およそ学生らしくない人たちばかりであったが、それでも皆、早稲田の文科生であったらしい。 どこまでも、ついて来る。じっさい、どこまでも、・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・その時の印象が彼の後年の仕事にある影響を与えたという事が彼自身の口から伝わっている。 丁度この頃、彼の父は家族を挙げてミュンヘンに移転した。今度の家は前のせまくるしい住居とちがって広い庭園に囲まれていたので、そこで初めて自由に接すること・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・正常の教程課目として教わったことで後年直接そのままに役に立ったことは比較的わずかで教程以外に直接先生方から受けた実例教育の外には自分の勝手で自修したことだけが骨身に沁みて生涯の指導原理になっているような気がする。しかし、これは思い違いである・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・これも馬鹿げているが、後年器械などいじるための指の訓練にはいくらかなったかもしれない。人差指に雁首を引掛けてぶら下げておいてから指で空中に円を画きながら煙管をプロペラのごとく廻転するという曲芸は遠心力の物理を教わらない前に実験だけは卒業して・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・そういう記憶の断片がはたしてほんとうにあったことなのか、それとも、いつかずっと後年になってから見た一夜の夢の映像の記憶を過去に投影したものだか、記憶の現実性がきわめて頼み少ないものになって来るのである。 自分の幼時のそういう夢のような記・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・それが後年盲腸の手術を受けてからすっかり能くなった。晩年には始終神経衰弱の気味があったが、これはおそらく極度の勤勉の結果であろうと想像された。 米国から講演の依頼を受けた時にも健康の点でかなり躊躇していたが、人々もすすめたので思い切って・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
出典:青空文庫